死神におねがい

死神と出会って一ヶ月、俺は高校から続けていたバイトを止めさせられ、完全なるニート道を歩んでいた。死神は片時も俺から離れず、エプロンをつけて家事をこなしている。

どこから仕入れてきたのか、ギャルソンがつけるような黒いエプロンは嫌みなくらい死神に似合っていた。

たいしてやることのない俺のここ最近の日課と言えば、壁にかけられたカレンダーを見つめながらため息を吐くことだろうか。死神と出会った頃は春休み真っ最中の俺だったが、もうなんだかんだこのニート、いやヒモ生活を始めて一ヶ月が経つのである。つまり

「大学どうしよ…」

そう、あの長かった春休みも終わりを告げ、残すところ後三日というところまで来ていた。普通、大学生の春休みと言えばまさに春満開、きゃっきゃうふふな毎日ではないだろうか。しかし俺と言えば、ただ生きていただけだ。いやむしろ飼育されていたといった方が正しい。ああ、ジーザス!

俺がカレンダーを見つめながら頭を抱え悲嘆にくれているのを、死神は『正しいペットのしつけかた』と題された本を片手に、微笑みながら見守っていた。

幾ら頭を抱えて悩んだってどうにもならないと気づいたのは、その次の日の朝で、大学に行きたいと伝えることを決心したのはそのまた次の日、つまり春休み最終日である。

好きなだけチキン野郎となじるがいい。慎重で何が悪い。人間とは学ぶ生き物なのだ。家事万能で常に爽やかな笑みを浮かべている死神だが、沸点が限りなく低く、一度キレるとチェーンソーを笑いながら振り回すような化け物なのである。もう二度と宅配便事件の二の舞は踏むまい。

というわけで俺は取り合えず朝から出来うる限りの媚を売った。膝の上にこいと言われたらいそいそと座り、普段の俺であれば余りの羞恥に頭をかきむしり悶え苦しむであろうことも言った。これも全ては脱ニート、いや自立のためである。

「あ、あのさあ…」

夕食が終わり、死神と二人で食器を洗った後、俺はソファに座っている死神にすすっと近づいた。

「ひろ、どうしました?」

死神はぱたんと本を閉じると、優しい笑みを浮かべて俺を見る。その本の題名が『正しい奴隷の調教のしかた』だったのは俺の気のせいに違いない。

「もうすぐさ、四月だよね」
「ええ、そうですね。ひろと私が出会って今日で1ヶ月と2日、14時間29分36秒ですから、時間が経つのはあっという間ですねえ」

にこにこ。上機嫌な死神は春風でも吹きそうな笑顔で気持ちの悪いことを言うと不思議そうに首を傾げた。

「それがどうかしましたか?」

そう言って死神の硝子玉のような瞳は無機質な光を浮かべて俺を見る。何かを考えている目だ。俺は死神のこの目が数ある苦手な部分でもさらに突出して苦手だった。

耳元でないはずのチェーンソーの唸りが聞こえた気がして、俺は言葉につまる。
死神はくすり、と微笑んだ。

「私に何か言いたいことがあるのでしょう。…言ってみるといい。私は今日、機嫌がとても良いのです」

死神は本をソファーへと置くと、俺の腰に片手を回し引き寄せた。真っ暗な瞳が俺を射ぬく。

「大学に、行きたいんだけど」

俺の言葉に死神は一瞬だけきょとんとして、それからああと呟いた。

「そう言えば、ひろは学生でしたね。すっかり失念していました」

俺の発言は死神の怒りの琴線には触れなかったらしい。死神は目を細めて笑うと、「構いませんよ」と答えた。

余りにもあっさりと許可が出てしまったために、俺は拍子抜けして喜ぶことも出来ずに、ぽかんと死神を見下ろしていた。

あんなにも俺を外に出すことを嫌がっていた死神が、大学みたいな人がわんさかいるところに行っていいだなんて、何か裏があるんじゃないか、と考えてしまう。

「学生は勉強することが仕事なのでしょう?あなたに必用であることを私は取り上げるつもりはない。…ひろ、顔がとても不細工になっていますよ」

かわいい、と呟いて死神は俺に軽いキスをする。不細工だと言われようが、俺は死神の限りなく胡散臭い言葉に顔をしかめるのをやめない。

「ふふ、私を疑っているのですね。私は一度約束をしたことを違えたりはしない。死神は義理堅いのです」

うっそりと笑って死神は俺の尻を撫でている。俺はその手を叩いた。

「大学に行っても怒らないよな?」
「ええ、怒りません。浮気をしたら許しませんが」
「チェーンソーも出すなよ」
「ええ、わかりました。…全く、ひろは心配性ですねえ」

にこにこ。死神は機嫌良さそうに笑っている。俺は漸く安心して、肩と顔にいれていた力を抜いた。顔をずっとしかめ続けていたから、何だか眉間がぴくぴくする。

「じゃあ俺、明日から学校だからもう寝るわ。おやすみなさい!」

さっきから俺の尻をいやらしく撫でてくる死神の手から逃れようと、腰に回されている腕を外そうとする。が、びくともしない。

「何を言っているんです。…夜はこれからでしょう?」

べろり、と赤い舌で唇を舐めていやらしく笑ってみせる死神は、暴れる俺をいとも簡単にいなし、さらに体を引き寄せた。

「ひろ…あなたを誰よりも愛しています」

うっとりと微笑み、俺に口付けてくる死神に条件反射のように口を軽く開く。

「っくくく!本当に、いとおしい」

喉の奥で低く笑った死神の舌が、隙間から潜り込み、口内を荒々しくなぶる。口の中をぐちゃぐちゃにかき回されながら、俺は春休みの課題に全く手をつけていないことに気がつき、絶望した。

死神の見ていた本の背表紙に『飴と鞭は1対9の割合で』と書かれていたことなど、キスに骨抜きになっている俺には知るよしもなかった。




「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -