箱の中

 寒椿家は古くから占いを商いとしてきた。
 一族揃って占いを商いにするなんて、と馬鹿にする人もいるかもしれない。けれど、寒椿家の占いはイコール予言であり、未来である。

 寒椿家の、特に当主の占いは外れることがない。決して外れることのない占いを望む人間など世界には腐るほどいる。
 寒椿家は表舞台にはあまり出ないものの、占いを商いとして様々な時代の裏舞台で活躍してきた。権力者たちの背後には必ず寒椿家がいる、と言われるほどである。

 遠い昔には神のような力を持つ寒椿家を危険視し、滅ぼそうとした一族もいた。しかし、その一族は一夜にして女子どもすら一人残さず皆死んだ。それから寒椿家は神に守られ、寵愛を受けている一族であるとして、崇められると同時に恐れられている。


 そんな寒椿家は平成の世になっても未だ占いを商いとし、古くからの仕来りに縛られ続けている。


 寒椿家の現当主である寒椿 唯織(いおり)は今年で齢十六になる。本家に産まれた長男は、初めての神渡を経験した日より、前当主から当主を引き継ぐ決まりとなっていた。多くの当主は早くても二十歳前後で初めての神渡を経験する。しかし、唯織は僅か十歳で初めての神渡を経験した。以来、唯織は寒椿の当主であり、歴代の当主たちを凌ぐほどの力を持ってして、寒椿家を率いてきた。


「唯織にいさま」

 唯織が高校から帰り、寒椿家の門をくぐると、唯織の帰りを待っていたのだろう、薄桃色の女性の着物を着た美しい者がいそいそと近づいてきた。彼の名前は紫織(しおり)といい、唯織の一つ下の弟である。細紐で艶やかな黒髪を結い上げ、真っ赤な紅のひかれた唇に微笑みを浮かべるその姿は天女のようであり、男には到底見えない。

 古来から寒椿家の本家には必ず二人の男児が生まれる。兄は神渡の力を用いて一族を率いることを宿命とし、弟の方は寒椿本家の血を絶やさぬようにとそれだけのためにこの世に生を受ける。それは、本家の兄として産まれたものには子供を残す力がないためだ。

 他所で子どもを作らぬように、また跡目を争うことのないように。古くから続く仕来りの一つとして弟は世間から徹底的に隔離され、女として育てられる。そして十八を過ぎれば神渡で選ばれた本当の女と交わり、子を作る。寒椿家はもともと子孫を残す力が弱い。二人の男児が生まれるまでは何度も何度もそれが繰り返されるのだ。

 唯織はそんな悪しき仕来りを頑なに守り続ける寒椿家を何よりも嫌っていた。そして、何も知らず、そして疑わずに箱庭の中で綺麗なまま生きる弟のことをも嫌っていた。

「にいさま、聞いてください。今日、綺麗な蝶々をお庭で見たのです。とても綺麗な黒い翅で、まるでにいさまのようでした。」

 紫織はその瞳をきらきらと輝かせて唯織にそう語った。熱っぽいその視線は、なるほど確かに女そのものである。

 唯織は心に沸き立つ嫌悪を隠さぬまま、女の着物を身に纏い、実の兄に思いを寄せている弟を睨み据えた。

「…そんな下らない用件で俺に話しかけるな」

 冷たい声音にびくりと体を震わせた紫織は途端に美しい顔を青ざめさせ、冷たい瞳で自分を睨み付ける唯織の機嫌をとるように、「ごめんなさい、ごめんなさい、にいさま。どうか紫織を許して下さい」と哀れさの滲んだ声で謝罪を繰り返す。

 まるで女にしかみえないその仕草に、唯織は吐き気すら感じた。謝り続ける紫織から目を逸らし、足早にその場を去ろうとする。

 自分の前から去ろうとする唯織に気づいた紫織は「にいさま、待って」とどうにか兄を引き留めようとした。基本的に紫織は自分に与えられた離れから出ることができず、唯織の住んでいる屋敷には足を踏み入れることは許されていない。

 そのために、紫織は学校の登下校時や仕事で兄が外へ行く時のみ、その姿と声を聴くことができた。紫織は唯織の姿を一目見ることができるならば、何時間だろうと外で立って待っていられる。雨が降ろうと、雪が降ろうと、日差しの強い日も、紫織には関係などなかった。

「離れへ帰れ、紫織」

 唯織の黒い学生服の裾を紫織が掴もうとすると、その手を払って唯織はただ一言自らの弟にそう告げた。紫織は瞳に涙を滲ませながらも、振り払われた手を大事そうに胸に抱え、「はい、にいさま」と肯定の言葉を返す。

 振り返ることなく屋敷へと帰っていく唯織の背をじっと見つめながら、紫織はそっと払われた手に唇を寄せた。そして恋に溺れた女の目で「にいさま、お慕いしております」とぽつりとつぶやき、そっと微笑んだ。



「あなたも罪な人だねえ」

 唯織が屋敷の玄関をくぐるなり、楽しげな口調でそう言ったのは、唯織の従兄である真昼だった。

「黙れ、真昼」

 笑う真昼を一瞥することもなく、唯織は感情の籠らない声音でそう言うと、真昼の横を通り過ぎて自室へと戻ろうとする。

 そんな唯織に真昼は「そう怒りなさんな」とけらけら笑いながら返し、その背を追って板張りの廊下を歩き出す。

「なにをそんなにぴりぴりしているんだ。お前の弟が良妻よろしく外でお前の帰りを待っていることなんざ、今に始まったことじゃあないだろう」
「俺は黙れと言っているんだ、真昼」
「ふふっ。お前が感情をそんなに表に出すときは、決まって良くない占い結果が出たときだけだなあ、唯織」

 真昼の言葉に唯織は立ち止まって、勢いよく振り返ると真昼を睨み付けた。漆黒の瞳に煮えたぎるような怒りを見て、真昼はどうどう、と獣を落ち着かせるように両手を広げて見せる。

「そう噛みつこうとするな、唯織。いったいお前は何を話し、そして見たんだ」
「…お前に話すことなどなにもない。その口、縫い付けられたくなければ早々に黙ったほうがいい。それとも永遠にその喉から声を奪ってやろうか」
「はいはい、わかったよ。この話はなしだ」

 唯織の声に本気の色を感じて、真昼は早々に降参した。唯織の力は桁外れに強い。唯織が願いさえすれば、未来だって捻じ曲げることができることを、真昼は知っていた。

 唯織は真昼がもう二度とこの話題を口にすることはないだろうと確信すると、踵を返して、再び長い廊下を歩き始める。その背を追いかけることなく、真昼はその場に立って見送った。

「追い込まれている時に限って、噛みつく癖直した方がいいよ、唯織。…本当に分かりやすい奴め。」

 苦笑して唯織の背を見送る真昼は、小さい頃から唯織のことを誰よりも近くで見てきた。だからこそわかるのだ。

 唯織の足場はいつだって不安定だ。少しでもバランスを崩せば奈落へ真っ逆さまへ落ちる。誰よりも力を持つ唯織が、同時に誰よりも弱いことを真昼は知っている。そしてその時をずっと昔から、まだかまだかと待ち構えているのだ。

「…早く壊れてしまえよ」

 その時に漸く真昼は遥か高みにいる唯織を手に入れることができるのだから。真昼は唯織の姿が見えなくなると、鼻歌を歌いながらその場を後にした。真昼が待ち望む瞬間はきっとすぐそこまできている。



 自室に入り、漸く一人になることができた唯織は、畳にずるずると座り込んだ。昨夜、神渡を介して見た映像が、ずっと頭の中をぐるぐると周っている。

 それはまさに地獄絵図だった。血まみれの屋敷に見知った人々が折り重なるようにして倒れていた。一様に絶命している人々、そしてその屍の上に立っている、美しい女の形を装った化け物。

 唯織は恐ろしさに震える体を自分の両腕で抱きしめた。唯織の占いは外れたことがない。つまり、昨夜見たあの光景は、今後現実に起こることなのだ。

 地獄絵図のようなそれを見たのは昨夜が初めてではない。初めての神渡で唯織が目にしたのも、同じものだった。それから唯織は、自分を兄と呼ぶ女の装いをした弟を何よりも恐れている。

『にいさま、』

 弟の声が鼓膜に張り付いて消えてくれない。日本刀を握り、血に塗れて尚、微笑む弟が脳裏にちらつく。唯織はそれらから逃げるようにして目を閉じた。

 唯織を助けてくれるのは、今も昔も神渡によって会うことのできる神だけだった。だからこそ唯織は寒椿の家を憎み、この能力を呪いながらも、渡ることをやめられないのだ。



 そこには常に、牡丹が咲き乱れている。そして、一面に広がる牡丹の花に囲まれるようにして、それは存在する。

 唯織が目を開けると、そこはいつもの牡丹畑だった。色とりどりの牡丹が咲き誇るそこで、唯織は神と呼ばれているものに会う。唯織がゆっくりと立ち上がると、ふわりと風が吹いて、牡丹が揺れた。気が付いた時には目の前に、真っ白な着物を身に纏った美丈夫が立っている。

「ひどい顔色だね、私の唯織」

 唯織の頬に手を伸ばし、心配そうな顔で唯織の顔を覗き込んでいる者こそ、寒椿家が崇めている神である。唯織は本当に目の前の男が神であるかどうかなど知らない。

 けれど、唯織が今まで行ってきた占いは全てこの男が教えたものをそのまま言っているだけに過ぎなかった。占いが当たるたびに人々は唯織を神の使いと呼ぶのだから、この男が本来の神であってもなくても、唯織の占いを受けた人々や寒椿家からすれば神なのだ。

 優しく唯織の頬を撫でていた男は、そのまま手を背中へと回すと、唯織をそっと抱きしめた。男の着物からは白檀の匂いがする。白檀と、そして足元から立ち上る牡丹の入り混じった匂いが、唯織は好きだった。

「私を呼んだろう、唯織。お前が呼ぶから、慌てて来てしまった」

くすくすと笑う男に、唯織は「すみません」と小さな声で謝った。神を呼ぶ行為は寒椿家では禁止されている。神のお渡りをただひたすらに待つというのが原則であるのだ。だからこそ、この神と会う行為を、寒椿家は神渡と呼んでいる。

「謝ることはない。お前が呼べば、私は必ずお前の前に現れるだろう。…そう、必ず。」

 男は唯織を一度強く抱きしめると、そっと体を離して、唯織の顔を優しい瞳で見つめた。

「さて。私を呼んでまで、見せてほしい先があるのか。それとも、叶えてほしい望みがあるのか。」 

 男は微笑んだ。背中に寒気が走るほどに美しく、底のない笑みだ。落ちれば二度と上がることのできない、底知れないなにか。けれど唯織にとって縋る相手は男しかいないのだ。

「俺の願いを叶えてくださいますか」

 唯織はぐっとこみあげてくる恐怖を飲み込んで、たった一言、そう言った。

「もちろんだ、私のかわいい唯織」

 神は目を細めて、笑みを深めた。そして何もかもを見通しているのだろう琥珀色の瞳で唯織の瞳を覗き込み、まるで虚無へと誘うかのような甘い声で囁いた。

「お前のかわいい願いを言ってごらん、唯織。­お前が私のものになったあの日から、現世はお前の意のままだ」


 さて、狭い箱の中で飼われているのはいったい誰か。




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