あなたは神様だから

久木の話/三人称

古くから橘家に仕えている梔子家は、橘と同じく血を重んじる家系である。そのため、梔子家でありながらも他国の血を併せ持つ久木を周囲は皆疎んでいた。

久木の母は梔子家現当主の妹である。母は外国の男に恋し、梔子家を捨てて男と共に失踪した。梔子が母を見つけたときには既に母は子を身籠っていた。母が身籠っていた赤子。それが久木であった。

他国の血を引く久木は、この国にはない色を持っている。髪の色は透けるようなブロンドで、瞳の色はグレーであった。この色のために、久木は梔子の性を名乗ることを許されなかった。最も、久木は梔子を憎んでいたためそれは大した問題ではない。

久木は外に出ることを許されなかった。梔子の血以外が混ざることすら嫌悪するような家だ。他所の国の混じった久木は梔子にとって恥でしかなかった。久木は梔子の家の蔵で生活していた。生きていくために必要なものは与えられた。でも、それだけだった。その頃にはまだ久木には「久木」という名前すらなかったのだ。生きながらにして死んでいるとはこのことだと久木は毎日思っていた。

そんな生活が変わったのは、忘れもしない。ある春の日のことであった。

「お前が梔子の忌み子?」

蔵の鍵が開けられ、重い扉が開いた先に立っていたのは久木よりも幾つか歳下であろう少年だった。久木が欲しくて堪らなかった真っ黒な髪に同色の瞳を持つ平凡な顔立ちの少年は、久木を見て薄く笑った。

「出来そこない同士、丁度いい。お前は今日から俺のものだよ」

少年は自嘲を含んだ笑みを浮かべながら、それでいて有無を言わさぬ口調で久木に宣言した。一度だけ会ったことのある自分の叔父だという人間がその少年を必死に引き留める姿が見えたが、久木にはどうでもよかった。

久木は少年の瞳から目を離すことができない。少年のことをずっと見ていたい。その思いに久木は抗うことができなかった。今まで何も望まなかった久木が、初めて何かを心から望んだ瞬間だった。

それから久木は必死に努力を重ね、こうして橘家当主の長男である誉の側仕えとなった。誉が迷わずに久木を選んでくれた時の歓喜を久木は永遠に忘れることはないだろう。そして忌み子は「久木」という一人の人間になったのだ。


久木は生涯でたった一人の愛しい主に呼ばれ、その人が待つ部屋へと急いでいた。向かう途中の廊下の壁に背を預け、待ち構えていたように青年が立っている。久木は明らかに自分を待っていただろう相手を一瞥するのみで、その前を何事もなく通り過ぎようとした。しかし相手がそれを許してくれる訳もない。

「よお、忌み子。今から次期当主様に尾でも振りに行くのか」

通り過ぎる瞬間に肩を掴まれ、久木は立ち止まる。無理やり振り払っていくこともできたが、それでは後々問題となる。そして誉に迷惑をかけることになる。それは久木にとって最も恐れることであった。

久木は自分の肩を掴んでいる相手、梔子家当主の一人息子―つまり久木の従兄にあたる馨を無表情な顔で見た。

馨は誉の弟、菖蒲の側仕えである。本来ならば梔子の次期当主である馨が橘の次期当主である誉に仕える筈であった。しかし誉は久木を選んだ。ただでさえ忌み子である久木を蔑んでいた馨は、誉に選ばれなかったことでさらに輪をかけて久木を目の敵とするようになった。久木が馨から嫌がらせを受けたことは数知れない。

しかし久木にとってはどうでもいいことだった。何故なら久木にとっての全ては誉だけだった。誉だけで久木の世界は構築されていた。

「離して下さい。誉様が待っていらっしゃいますので」

久木は淡々とそう言った。グレーの瞳は硝子玉のように無機質な光を帯びて馨を見ている。感情を一切含まない顔は久木の人形のように端正な顔も相まって思わず見た人がぞっとするようなものだった。しかしそれに怯むことなく馨は嫌な笑みを浮かべる。

「忌み子風情が俺に向かってそんな口を聞いて良いと思っているのか」

馨はそう言い、空いている手で久木の首を気道を潰すように掴んだ。

「…お前なんてあの蔵で一人寂しく死んでいけば良かったのに」

久木の耳に唇を寄せ、馨はまるで呪いでもかけるように低く淀んだ声で囁いた。気道を締められた久木は一瞬苦しさに眉間に皺を寄せるが、瞬きの間にその顔は無表情に戻っていた。

「お前はいつか捨てられる。だってお前は所詮出来損ないでしかないんだから。そしたら俺が殺してやるよ。そうしたらお前の死体は二度と誉様の目に触れず、声も届かない場所に捨ててやろう」

馨は低く笑うと、久木の体を突き飛ばした。そして、その数秒後に「久木、」と久木にとって最も大切な誉の声が廊下に響く。

誉は廊下に向き合うようにして立っている馨と久木の姿を見ると、その表情を厳しいものに変える。

「二人で何をしている」

誉は大股で廊下を歩き、馨と久木の間に割って入る。そして馨を見てそう言った。その瞳は事情も知らぬというのに、馨のことだけを咎めるように睨み据えていた。そのことがさらに馨の胸の奥にあるどろどろとした淀みを湧き上がらせるのだということに、誉は気づいていない。何故なら誉もまた久木と同様に馨のことをどうでもいいと思っているからだ。

「…側仕え同士話していただけですよ誉様。私は菖蒲様に呼ばれておりますので、これで失礼致します」

馨はその顔に笑みを浮かべると、誉に背を向けてさっさと廊下の向こうへと消えていった。誉はその背を無言のまま見送ると、くるりと振り返る。

「遅いと思って迎えにきたら、案の定馨に捕まっていたんだな」
「申し訳ありません、誉様」
「別に急ぐ用でもなかったからいい。行こう」

そう言い歩き出した誉に従い、久木は半歩後ろの位置を歩く。暫く誉の自室へ向かい廊下を歩いていると、今まで黙り込んでいた誉が唐突に「なあ、久木」と口を開いた。

「何でしょう、誉様」

久木が答えると、誉は一瞬の躊躇の末に再び口を開く。


「俺は、

 ―お前が側にいてくれることを人生の中で最も幸運だったと思ってる」


誉は振り返りも足を止めさえもせずに、そうはっきりと言った。だから久木も足を止めない。

「…勿体ないお言葉です、誉様」

数秒の間を置いて、久木は誉へそう返答した。それきり誉の部屋へ着くまで二人の間に会話はなかった。

久木は誉が振り返らなくてよかったと思う。自分が今までの人生の中で一番みっともない顔をしていることが分かっていたからだ。




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