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茹だるような鬱陶しい地上の喧騒から遠く離れたビル最上階の社長室は、灯りが点っていずとも窓の下一面に広がる鮮やかで何処か虚ろなネオンが部屋を仄明るく照らしている。

時折トラックのクラクションや大型バイクのモーターの唸るような駆動音が辛うじてこの部屋まで入ってくるというだけで、共生の建物内は酷く静まり返っていて、どこか寂しくも感じられる。

たった二人しか存在していないこの空間は、只でさえ静かな夜のオフィスをより静寂に満ちた場所だと感じさせる要因の一つに他ならなかった。

会話など一切無く、黙々と資料や新聞、依頼届けに目を通しているので、尚更だ。

仕事熱心とも鬼ともとれる男の前に座っている若い青年―…隼は、ふと頁を捲る手を止めた。

そしてちらりと目の前の男の顔を伺う。相変わらず、真剣な表情だ。


多分、目が好きなんだと思う。

隼は目の前の人物をぼんやり眺めながら思った。

猛禽類を思わせる、意志が強く鋭い瞳は男女を問わず目を惹かれる。この人の視線の先には一体何が見えてるいのだろうか。景色だとか、物体だとかそんなものではなくて、常人が見る事の出来ない遥か先を、未来をその目は捉えているのではないか。そんな気さえしてくる。
その瞳の奥を、隼は覗いて見たいと思った。


「……」


ガサ、と乾いた紙の擦れる音が静かな部屋に響いたかと思うと、目の前の男は新聞に落としていた視線を此方に向け、ギロリとした瞳で一瞥してきた。

いつの間にか目が合ってしまっている事にも気付かなかった俺は、はっとして頬杖をついていた手を崩し、無様な格好になる。

「ワシの顔がどうかしたか…?」

「い、いえ…別に…!」

変な体勢のまま隼は返答をすると、慌てて手元にある論文に目をやった。

兎に角気を紛らわせたかったのだが、なんの味気もない活字の字面は全く頭に入って来ず、先程の動揺ばかりが頭の中を駆け巡る。

(そりゃ…ジロジロ顔見てくる奴がいたら…気にするよな…)

溜め息を一つ。

全く、何をやっているんだか。

最近の俺はおかしいと自分でも思う。知らぬ間にあの方を目で追ってしまうのだ。

つまり、魅入られてしまった訳だ。この感情を何と呼ぶのかは未だに謎ではあるが、どんな時でも視界に留めておきたい、という気持ちは日に日に強くなっている。

別に、他の人を見て欲しくない訳ではないが、(仕事柄それは不可能であるし)ただ、あの人が誰か一人を愛したとして、その瞳をその一人の為だけに向ける事とか、その一人がその瞳を独占する事が出来る事なんかを考えていると、何ともいえないもやもやとした気持ちになってくる。

―嫉妬?

ふと浮かんだ疑問に隼は眉を潜めた後、自嘲気味に笑った。

本当に、馬鹿みたいだな。そんな感情を抱いても、何が変わる訳でも無いのに。

徐々に冷静になってくる思考に安堵の息を漏らすと、再び論文に目を通した。

今度はすらすらと頭に内容が入っていく。

―やはり仕事は静かな方が集中出来る。卓について牌を握っている時もつくづくそう思うのだ。余計な音が無い空間というのは、理想的だ。

「……」

…そう思っている矢先、目の前の男は徐に立ち上がり、戸棚の中から何かを持ってきた。硝子のぶつかる軽快な音が鳴ったと思うと、男は漸く口を開いた。

「隼、貴様は呑めるのだろう?」

顔を上げると、そこには水晶を思わせる美しい造形を施し、金のラベルを貼った高そうなボトルがあった。黄金色をした中身を見るあたり、ブランデーか何かだろう。

数回瞬きをした後、俺はおずおずと答えた。

「一応まあ…、付き合えって事ですか?」

「当たり前だ」

休憩だ、そう言って先程とは打って変わってどこか愉しそうに詮を開ける男。

ひややかな冷気を立てているロックアイスが鎮座した縁の厚いグラスに注がれる黄金を見ていると、どこか懐かしく感じてくる。

特攻隊に入隊していた時にはよく上官に誘われ酒を呑まされたものだ。博打の場ではないので断る事も出来ず、俺は渋々付き合っていた訳だが。
延々と司令官の愚痴を聞かされていたような、故郷の家族の話をしんみりと聞いていたような、そんな思い出がある。黴びたような色をした砂壁の埃っぽい部屋のにおいは、まだ記憶に残っている。
酒は呑めない訳ではないが、決して強い訳ではない。限度は分かるので、要は一定量を超えさえしなければいいのだ。

コトン、と差し出されたグラスに礼を述べると再び視線を交わし、コォン、と重厚な音を響かせて乾杯した。

慣れた手付で酒を呑む男を軽く見遣ってから、強い匂いに躊躇いながらも喉を少し鳴らして中身を呷った。

まるで沈殿した油のように濃いアルコールの味に、隼は眉をしかめる事になる。



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