作文 | ナノ
天泣す


捏造




晴れきった星空から降る雨は通り雨だったが、ただ傷ついた手足が痛々しかった。ミザエルが夜をまともに見られないことを知ったのはそのときだ。
「いつからだ」
「おそらく人間になってすぐだろう」
存外、他人ごとのように言った。ベッドサイドに燈された人工の橙をした灯りがその表情を穏やかに見せたが、焦点のあわない双眸は機械的なまばたきを繰り返している。これでは今の灯りで見えているのやもわからぬ。ただつとめて冷静であろうとしていても制服の袖からちらりと見える赤く滲んだ腕がすべて物語っていた。
「ここまで来るあいだ、空も見えなかったか」
「空、空など、べつに、気にならん」
歯切れを悪くした。ミザエルにはもう月も星も、本来のかすかな光の前では見えなくなったのである。気にならないわけがない、つくならもっと、うまい嘘をつくべきだ。カイトは言葉を失っていた。まともに選ぶ気力もなかった。銀河の龍を誇りにしたあのミザエルが、その龍の棲まう夜を二度と見ることができない。
「ああそうだ雨が降っていたな、どうせ曇っているんだろう、それに」
「もういい」
小さく息を呑んだようであった。遅れて吐息だけで名を呼ばれた。かき抱いた身体はかなしく薄かった。虚勢ほど愚かなものはない。匙の先ほどの憐れみすら充分すぎるのに、これ以上、寂しい思いをさせる。罪にふさわしい罰を与えられたのなら、なぜおれに報いがない。ミザエルばかりだ。ミザエルばかりが積んだ石を崩される。どうして黙っていた、と叱責することはできなかった。たとえ自分がそうであっても、決して言わなかったことだ。
「見えてるか」
「あまり」
「制服が泥だらけだ」
「どうしたら」
ネクタイに手をかけても気づかないようだった。おぼえたばかりで下手な結び方だった。襟元からすっと抜き取ったときようやく合点したような声をあげて、シャツのボタンに自ら手をかけてゆく。その行為がどれだけの媚態を晒すか、視界を共有できないものには想像がつかないのだろう。立ち上がって、蛍光灯のスイッチを入れてやる。青白いともとれる冷たい光が、ちょうど上着とタンクトップとを脱ぎ終えたミザエルの裸の胸を晒した。
「あ、」
「見えないのは不便だろ」
「待て」
脱いだ衣服をあわててかき集めて胸に持っていくようすは女々しい弱さがあるが、睨めつける視線は戦士のころから変わらなかった。ようやくしっかり自分を見据えるようになった蒼いその目がカイトには悲しい色に見える。傍に寄りスラックスを穿いたままの腿を指で軽く叩くと、身体を固くして強い声色で「嫌だ」と言った。
「早くそれも脱げよ、何もしない」
「嘘を言うな、わたしはあれだけは嫌いだと言ったはずだ」
「本当にちがう、そんな気分じゃないんだ……」
思っていた以上にひどく疲れたような声が出た。しかし嘘ではない。カイトは無力感に苛まれていた。ミザエルは何を思ったかこちらがまぶしいほどに目を見開いていたのち、しゅんとおとなしくなって、細い腰のせいでいくつもホールを無視した軟いベルトを外しはじめる。きめ細やかな肢体が臆するように、ゆっくり夜の空気に触れる。

まがいもののセックスを一度だけした。ミザエルはそのことを言っているのだ。口づけまではいいのだが、愛撫をことごとく嫌がり脚を開かせるころにはもう、吐き気がすると言ったきり声ひとつ立てなかった。あの日を境に、カイトはどこかためらっていた。おれを見てすらいない冷やかな拒絶の目……触れるのがおそろしくなってしまったのである。しかしいま俄雨にすべては暴かれた。夜目が利かないことをもっと早くに知っていたら、あんな過ちで怯えさせることはなかった……と思えば悔やみに悔やまれる。あのときミザエルは何が起こっているか分からなかったのである。どれだけ慕っていてくれても、愛し合うには遠すぎるのだとずっと思っていた。それが、理不尽な罰のために。

カイトはミザエルを再び抱きすくめる。素肌に触れたかった。情欲とはまたちがう、悲しみから来る衝動であった。しっとりとしてわずかに汗の匂いがする胸に顔を寄せた。恋しいという思いに近いかもしれない。戸惑った指先が優しく背に触れる。二の腕の擦り傷。腕をとって、嘗めてやったらどんな顔をするだろうか。愛し合ったことがない肉体、それなのに背に置かれた手はこんなにも温かだった。
「カイト、おまえ今、ふだんハルトに見せる顔をしている」
「そうか」
「隠さないのか」
「ああ」
「では、わたしが気づかなかっただけなのだな、ずっと」
ミザエルはふっと笑った。無機質な蛍光灯の光にそぐわない甘やかな身体を抱き寄せるたび、錦糸のなめらかな髪に包まれる。やわらかい肌がカイトを撫ぜる。ひたすらに愛おしかった。おまえはときどき優しすぎる、とミザエルが目をあわせて囁く。自己満足の優しさを正当化するつもりはないのに、カイトはまわした腕を離せなかった。精いっぱい甘えていた子どものころに戻ったようだった。情けない、どれだけ愛しても見る世界ひとつ、美しくしてやれない。目をそらして、指をきつくからめあうだけの夜だ。






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