作文 | ナノ
浜辺のうた


いまどき、公園のベンチに何時間も座っているだけの交際なんてないのかもしれない。それを欲したミザエルは、ときおり上から降ってくる木の葉をつかまえては眺め、放っているだけである。海が近い。潮の香を鼻腔にのこす秋の風はつめたく、しかし陽射しは、まだ暖かかった。
「着込みすぎじゃないのか」
「風が寒い」
「軟弱だなあ」
そう言われたら、なんだか腹が立ったので冬物のコートをいそいで脱いで膝にのせた。誰もいないさびれた公園で、きゅうに子どもらしい癇癪をだしたくなって、我ながら、ばかばかしかった。隣人はにわかに愛おしそうに笑って、それがまた、ずっとむかしの誰かと対峙しているような気分になり、追いかける思いが霞む。遠い笑みをするやつだ。ふだん追いかけてくるのはそちらのくせに、もう数百年も成熟させた、おれなど、まったく相手にしていないような微笑みが稀に浮かぶのである。
「いい日だ」
穏やかに言うのを聞いていた。長袖のシャツに、冷える潮風がまとわりついてくる。ミザエルは髪の乱れを気にして耳に掛けながら「こんな日が来るなんて」と続けた。三日月の曲線をえがく横顔が、うんと切なくなる。不実だ。光を重たげにする憂いの睫毛の長さなんて、気づきたくもない。どうやら、無意識の表情らしかった。別のこころが姿をあらわして、このひとのなかには、きっと自身すら知らぬたましいが秘められている。そのたましいを、どこかで感じたことがある。
「あざやかなものだな、ひとつひとつが、わたしごと時をとめたように」
恍惚とした声である。時に置き去りにされるなど、いっそ手をとってやりたいとさえ思っていた。しかし静謐に似た束縛はかなしく、ミザエルはいつまでもこの姿のままで、おればかりが歩かざるをえなくなってしまうような気がした。永く時を経すぎたたましいである。平穏への不信はまだ、根づいているのかもしれない。人の証拠であり、あるいは、人を知る何者かの証拠でもある。不信ゆえ、永劫つづかぬ日々を愛しているようであった。
また、ぱっと手のなかの木の葉を放す。無邪気と達観を交互にして、目まぐるしいところのあるひとだった。
「あ」
木の葉をとらえようと仰向いたミザエルが、そのまま声をあげた。消え入ってゆく、たとえばなにかに感心したときの静かな声であった。空を見あげたまま、おれの、コートをのせた膝に、やさしく触れる。
「雨がくる」
「え」
「やわらかい雨が、ほら」
言い終わらぬうちに、それは秋雨とはとても呼べぬ温さで銀幕をつくる。濡れてまいろう、などミザエルは季節はずれのことを言うが、頷きかけるほど、淡いすみれ色の、ゆったりとした雨であった。潮の香がざわめきの彼方へぼかされてゆく。
なつかしいものを待ちわびたような姿が時をかけて濡らされてゆくさまを見つめながら、ああそうか、垣間見えるたましいは、このひとが愛した龍そのものなのだと思いあたった。憂いごとはすべてこちらにゆだねて、おまえ自身のたましいはひたすら、うつくしいものに奪われつづけていいのだと精いっぱいに甘やかす、金色のきらめきをその瞳に見ている。置き去りはもうたくさんだろう。今度こそは幸福に生きよう……膝にのる手を離さぬようにからめて握る。
「あたたかいよ、もうコートはいらんな?」
「濡れないと損だ」
雲間がこぼす陽射しに赤らむくちびるをとらえんと思う。龍神が降らす許しの霧雨があたりを薄い膜で覆い隠す。呼べる名のある存在をたしかめるように、街は色づいてゆく。






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