作文 | ナノ
水蜜秘せり


ミザエルは一人がけのソファにもたれて眠っていた。紅茶と菓子は半端にして、学校帰りは疲れよう。カイトは今日も仕事が間に合わなかったことに嘆息した。仕事仕事と言ったところで彼らの原動力は他でもなく、自身の探究心から生まれるのである。我に返れば時計の針がずいぶんと進み、ミザエルは待ちくたびれていつもこれだ。
数度に渡った同じ日々にどこか開き直りがある。意地悪くも、カイトはふだん焦って揺り起こすそのからだを、今度はゆっくり眺めてみようと思ったのであった。べつに裸に剥くわけじゃなし、情欲の範疇ではない。そういう場合のカイトは幾分か倫理が欠如した子どもの部分が見える。

立ったまま上からの目線でミザエルを眺めることはほとんどない。このひとはカイトより悔しいことに背のあるひとだ。髪の翳りの隅から、耳の裏が覗いた。彼はしゃがみこんで、ミザエルの髪を寄せる。長く伸びると、指に重たく掛かるものだと感心した。先はうつくしく切り揃えられている。誰が手入れをするのだろう、それをする間のミザエルは、きっとこんなふうに大人しく座って為すがままなのだ。見えぬ相手にすこし妬いた。
ティーカップを包んだままの、制服のためにあらわになった手や、綴じられぬ唇はどうにも稚げである。十五というには大人びた姿勢のそばに、このような隙間を知るものは数えるほどだとカイトは自負した。呼気に湿されても唇は乾いている。なぞれば目をさますかもしれない。睫毛が長く頬は上気していた。眠りのあどけなさに、整然とした誘惑を持てるひとであった。半袖から延びた長い腕、曲がった肘は丸みを帯びて、細く絞られた手首に続いている。あざやかに染まる爪を持つ手のうちに収まるティーカップの中身は、三分の一を隠す形で琥珀を溶いて揺れていた。映りこんだものを取りあげて、画額のかたちをした薄っぺらな硝子のうつわに静かに注ぎ入れ、銀幕のごとく書斎の机に飾れるなら喜ぶ輩もあろう。しかしカイトには興味のわかぬことである。彼は目の前の本能とその肉感の温度に陶酔した。ミザエルはたしかにここで息をしている。
揃えられた脚は貴い。かたくなでもある。引き締まっているがやわらかく膨らみのある下腹が、腿に置かれた両手とカップとのために隠れている。ふくらはぎの先の硬いローファーがよく似合う。青い制服はまだ、カイトの目に慣れなかった。男であることを強制する衣服だ。そうして衣服によって半流動の液体のようにゆっくりと型に嵌ってゆくミザエルの素のからだは、常にニュートラルの部分で針をとめている。不思議なからだである。隠された腹部を撫ぜたらその奥には何かあるだろうか、それとも何も? カイトは同時に薄皮の下で張り裂けそうになりながら、みっちりと息衝く瑞々しい果実を想像した。食めば彼にとって善いものかもしれないし、あるいは零落させるかもしれない、種のない果実……そんなものがあるとすれば……神話の箱のようなひとだと、思う。

カイトは立ちあがって、呼吸のたびに緩やかに波うつ全身を最後にもう一度見た。もっとも貴いのはうつわでなく魂だ。息を吹き返す五感をとおして、これから十分に生命を知ることができる魂が溢れんばかりに満たされている肉体。ふたりここに居られるのは、幸福以外の何ものでもないのだと、ふと微笑った。その笑みを幕に、彼は胸のうちにあるものを閉ざす。時は切り取られてカイトのなかだけに仕舞われた。彼はすでにミザエルの知る厳かなひとに戻り、そしてようやく、肩をそっと揺り動かしたのである。

「ミザエル、遅くなった」





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