作文 | ナノ
水玉もよう


光の筋がねむっていたぼくのまぶたをつついた。一度寝返りをうって、ぼうっと目をさますと、カーテンがすこしあいていて、そこから光が射し込んでいたようだ。朝日はいつもまっとうな正義を見せつける。道を外すひとも、正してくれそうにおもう。
視界のすみで退屈そうに羽ばたく翅が今朝はなかった。朝日のあまり、好きでないひとだ。薄闇で微睡みながら名前を呼べば柄の悪い返事が聞こえて、それでなんとなく、くすぐったくなる。とっくにベッドをおりてしまったのかもしれない。ぼくはまた何度か寝返りをうって、ゆっくり起きあがった。頭が重たくて朝はちょっと、手間取る。
「あれ」
見まわすと姿のない、なぜだろう、また名前を呼ぶと、返事がかえってくる。たまにぼくをおどろかそうとして隠れていたりするけど、そんなのとはちがう。光が射して灰になったのではないかと、そういう迷信がうなずけるから青ざめた。ベクターの声はどこから聞こえるのか、きみがいないと、ねえ困ります。たとえば、家に帰る楽しみだって、きみはたったひとり、ぼくの家族じゃないか。冗談じゃない、あそべないよ。出てきてください、と泣きそうに(ぼくはほんとうに弱いのだ。いつも笑っているベクターとちがって)声をかけても、いるよ、という眠そうな声だけが戻ってくる。
「ベクターどこです?」
「どこだと思う?」
「やめてください、わかんないよ」
「じゃあ駄目だ」
潜める笑い声に、部屋じゅうがざわめいた。風もないのに腹を抱えて物影がゆれている。もしやと思ってカーテンをひらくと、きゅうに部屋はしんとなって、さして強くもない光のもとでぼくの影だけが勝手に生きた。おもわず声をあげると影はまったく自由な不機嫌さで腕組みをする。もしかして、ぼくにしかわからない。もしかして。
「そこに」
「あーあ、笑わなけりゃよかった! めっかっちゃったか」
あるじを無視して愉快そうにうごめく影にぼくまでも灰色になりそうだ。悄然となって、どうして、と声が途切れた。どうしちゃったんだ。翅が好きだったよ、あこがれていた、それなのにいま、地を這っているなんて変でしょう。だれよりも高みが好きなくせに、笑っている。妥協をゆるした? なんてこと、あるわけがないんだ。いやだよ。
「零がおとなになったのさ」
「……触ってくださいよぼくに」
「わがままだなァ」
ないものねだりを知るいつもの調子だ。諌めるつもりではないから、自分にあまい。ぼくは肌を忘れたベクターの代わりにうねるシーツの翳りを愛しく撫ぜた。わかっている。もともと、ぼくの影から生まれたようなひとだ。それが戻ったってだけだ。わかっている。だけど、しょうがないんだけど、でも、先に言ってくれたってさ。くちびるがわななく。濡れたシーツの暗がりから、うわっ、と声がする。
「なみだ! つめてえ」
「だって、だって、こんなのって」
「はやく着替えて外へ連れてってくれよぉ、おまえばっかりだったろう」
「え」
「外だよ」
「あ、……きみ、影だからもう」
ベクターは、にやっとしたようだった。というのは、ぼくにはすべての感情がなだれ込んでくるのだった。いままで、なんとなくわかりあえなかったところも、今度は余すところなく曝されてゆく。ぼくは鼻をすんと鳴らしてなみだを引っ込める。溶けたからだ、これからは学校に、公園に、どこへだっていっしょに? 触れ得なくても、暗闇の世界ではベクターが支配者だ。怖くない、そして、ぼくに足りないいろんなものを与えてくれる。ぼくも、できる限り、ヒトに存在する感覚の何もかもを与えたい。半分ずつ、光陰をわけて、どちらかだけがかなしい思いをすることがないよう。
「では……では、きみのためにコンビニへ行きましょう」
「コンビニ? 買い物ってやつだなあ、いいぜ、おれはじめて」
「そうですよね、はじめてですよね」
「めそめそしながら笑ってんじゃねえよ」
零がおとなになったのさ……泣いたりしない。よかれと思って正装しようとしたのだが、ただでさえ嫌うのに日曜日に制服なんておかしいってベクターが言うから、不器用にしか結べないネクタイなんて放り出して、あっという間のふだん着で玄関を飛びだした。もうぼくは、お財布を置いていくことも、鍵をかけ忘れることもきっとない。笑われる役をしなくても、ひとりじゃない。注ぎ足す水の底をかきまわす満たされるための補い。正義感ばかりで何もできないぼくが誰かとしたかったのは、つまりは。






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