作文 | ナノ
夏祓


「どれもこれも機械に任せるというのはカイト、いかがなものかと思うが」
「だからいつも言っているだろう」
「とくにあれは信用できん。ガタガタうるさいし、貧弱で見てられんな、やはり壊れているのではないか」
「うるさいのはおまえのほうだ、信じられないなら結果を見てみろ。手伝え」
ミザエルは洗濯機に過剰にこだわっていた。近頃また滞在することが増えた別荘には型は古いがきちんと動く、小型のそれを置いている。旧式のため音のほうは致し方ないにしろ、だからと言って川で洗濯をしていたころの経験談を持ち出されても、昔話として興味深いとはいえ比較対象としてはかけ離れすぎている。頭の悪い会話だとうんざりしながら件の、引っ張ると外れそうだと評判の蓋を開ければ「ほら見ろ今度もめちゃくちゃだ」となぜか誇らしげに胸を張ったが、洗いたての洗濯物が放つ香りの華やかさは嫌いではないようだ。ミザエルがわざわざ洗濯機にクレームをつけてまで着いてくるのは今回だけではないので、ある程度察しはつく。しかし思い返すと、口を開けば馬鹿のひとつ覚えで決闘、決闘、決闘、なだらかな起伏のある喉からスキという音声など、聞いたこともない。決闘は好きかと訊けば、生きがいだとしか言わなかった。

「外だろう、晴れてるからな」
「ああ」
干すのも、取り込んで畳むのも、こつこつと重ねるのが何となく決まりごとのようになっていた。外に出ると陽射しに乾いた草の匂いがする。先ほど外に出てしばらく遊んでいたらしいハルトがこちらに気づいて手を大きく振る。つばの広い帽子をかぶり、自分に似て焼けぬ白い四肢をのびのびとさせる弟を見てカイトは手を振り返した。二度と見られないと思っていたものに笑顔を隠すほど、少なくとも今は、彼は頑固でないつもりであった。同時にハルトだ、と急に遠慮がちになり背中に隠れた声、それでもかすかに手を振るミザエルは恐れるような顔をしている。
「……ハルトにはいつもそうだな、ふだんの態度はどうした」
嘆息まじりに訊ねると、伏し目が返される。理由は、おそらく多すぎる。当のハルトがわざわざ手をひかなければ縮こまって一緒に遊びにも行かないのだ、あれほど物怖じしないやつが。それほど悔やんでいるのだろうが、戒めと怯えはちがう。カイトはしばらくためらったすえ、いちどやわらかい芝生に下ろした籐の籠をだまってミザエルに押しつけた。
自分から訊くくせに、ことばを見つけられないままいつも話を逸らしてしまうようになった。以前はもっと、距離感など考えずに思ったことを言いのけていたのに、おれもミザエルも一体どうしてしまったのか。カイトは内心で眉をひそめる。
「さっさとやるぞ、皺になる」
「あ、ああ」
柄にもなく生返事でシャツをつまみあげた。陽射しで長いまつげが影を落とした。溜め息のくちびるが蜃気楼を思わせる。またか、と眩暈する。こういうとき、説明しがたい気分に襲われることが多くなった。カイトには、他人どころか今の自分の感情すらわからないのだ。すこし逆上せたか、あまり暑い日は好きではない。ミザエルはちらちらとハルトのほうを気にしている。しかしその目は単純に、子どもという得体の知れないものに戸惑うときの、人間の目である。なるほど、と思う。
「なあ、怖いか、知らないものが」
「そんなことはない、死すら恐れぬわたしが」
「そうかな」
わずかに微笑むと、からかわれたと勘違いしたらしいミザエルは濡れた衣服をひとつ乱暴にはたいた。それからずいぶん洗濯物を握りしめてむっつりと黙っていたが、ふいに表情をやわらげて「ほんとうに、良い香りだ」とこぼした。あまり唐突なので、何のことやらカイトは返事ができなかった。
「ずっと、何かに似ている香りだと思っていた。それで、あたりまえだがカイトから同じ匂いがするだろう、気づいたときは笑ってしまった」
顔をあげたその目は、今度は他愛もないことを幸福とする慈愛の目であった。しかしすぐによろこびの色をひた隠しにして生きていく、こいつは悲しいことに戦士のさましか覚えていない。よろこんではならないと心が言っている。ここへ来てからずっとそうしていたのだろう、きっと、鬼の居ぬ間にということわざも知らないのだから。
「もっと笑うといい」
「え」
「そのために連れてきた」
篩にかけて選びぬいた言葉よりも洗濯物の香りひとつで幸福の定義を知るなんておかしなことだ。その幸福が『安心』に近しい感情であることもミザエルにはまだ分からない。おまえも、ハルトも、みな同じ、それは家族の匂いだ。
「なぜ? ただ、わたしは、手放したくないだけだ」
「それを好きと言うんだ」
「ああもう理解が追いつかない、ほんとうに難解なことで」
「かまわないさ」
「ではわたしの思う、好き、なものを、挙げてみていいかな」
「言ってみな」
いま、《生まれてはじめて》、はにかんで笑ったろう。新しい気づきの瞬間だった。カイトもまた眩暈の正体を紙一枚ほど感じはじめ、すべてのものは陽に気づきの数だけあたためられてゆく。




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