#7 純粋な致死量

 時折、あの土曜の昼下がりにあった出来事を思い出す。胸のつまる思いをするとわかっていても、思い出してしまう。あのとき、ソファーで向かい合ったエレンは、今までにみたことのない人のようだった。うっすらと潤んだ瞳は、不安の色に染まっていたけれど、妙に熱っぽくもみえた。わたしはその熱に溶かされて、噛みつかれたくちびるからどろどろと彼のなかに引きずり込まれていきそうだった。無責任にも、このまま彼のなかに消えてしまえればいいのにと思った。それはきっと、思い出してしまった真昼の夢のせいだ。けれどそんなことは叶わなくて、わたしとエレンは別々のままで。
 その後も、わたしたちは何でもなく過ごした。何も変わらない日常が続いていた。











 リヴァイ先生の仕事が少し落ち着いたので、今日は午後から来るようにとメールが来た。少し早めにキャンパスに行き、友人と食事を取ろうと計画をしていたが、それは彼女の急な予定で話は流れてしまった。そのため、仕方なくひとりでカフェテリアに向かう。

「あの。」

 口に入れたサラダを咀嚼しながら顔を上げると、見覚えのない女の子がテーブルの向こう側に立っていた。艶やかな黒髪と涼しい目元が印象的な彼女は、わたしをじっと見て「座っていいですか」と問いかける。昼時には少し早い時間帯のカフェテリアはそんなに混雑していない。空席も数多くあるのにどうしてだろうと疑問に思いながらも、わたしは「どうぞ」と返答する。
 椅子に座った彼女は、目の前に置かれた食事には手をつけず、再びわたしをじっと見る。わたしは、居心地の悪さを感じながら、バターロールをちぎって口に運ぶ。彼女は知り合いだっただろうかと記憶を辿ったが、やはり思い出せない。最近は鳴りを潜めていたリヴァイ先生のファンだろうか。けれど、彼女がそんな浮ついた子には到底見えない。バターロールを半分ほど食べ終えたころ、わたしは彼女の視線に耐えきれず、自分の記憶にないことを詫びてから知り合いかどうか尋ねた。

「わたしとあなたは、直接の知り合いじゃない。ですが、エレンからよく聞いている。」
「エレン?あなたはエレンのお友達なの?」
「友達ではない。家族、です。」

 彼女の涼しい目元がすっと細まり、間違いを冷ややかに指摘された。それに戸惑いながらもエレンとの会話を呼び起こしてみると、彼女の手がかりはすぐに見つかった。

「あなた、ミカサさんね。」

 わたしの解答を、ミカサは無言で肯定する。エレンは彼女を「ずっと一緒にいた家族みたいなやつ」と評していた。彼女のご両親が早くに亡くなり、頼れる親族が見つからず、親交の深かったエレンのご両親が彼女を引き取ったと聞いている。話はよく聞いていたが、こうして顔を合わせたのは今回が初めてだ。
 相手の素性がわかり、わたしは少しばかりほっとした。けれど、ミカサは相変わらず食事には手をつけず、じっと視線を向けている。わたしはあいまいな微笑みを投げかけてみたけれど、彼女は眉ひとつ動かさない。わたしの半端な笑みは煙のように消え、気まずさから冷めてきたスープに口をつけた。それから、残り僅かな食事を飲み込むように口に運ぶ。食事の残りがバターロールひとかけらになったころ、目の前のミカサが口を開いた。


「あなた、エレンのことちゃんと見て。」


 ぴたり、とわたしの動きが止まる。ミカサの漆黒の瞳に動揺したわたしが映らないことを意識して「どういうこと?」と極力穏やかに理由を尋ねる。ミカサは「あなたはエレンのこと、ちゃんと見ていない」と口にする。わたしは会話にならないいらだちを感じながらも、貼りつけた笑顔を崩さないよう神経を集中させる。ここで彼女の言葉を買ってしまえばややこしいことになりかねないとはわかっていたが、少しばかり言い返さないとわたしの腹の虫は収まらなかった。


「あなたがどう感じているかは知らないけれど、わたしはエレンのことをわたしなりに愛してる。」


 恥ずかしい台詞も、カフェテリアの喧騒に紛れているから言える。今まで表情を変えなかったミカサの眉がぴくりと動く。

「だったら、あなたはどうしてあいつとあんなに親しいの?」
「あいつ?」
「…リヴァイ先生。」

 貼りつけていた笑顔が、彼の名前を聞くだけで剥がれ落ちていく。

「わたしは先生の助手をしているから、親しくもするわ。」
「あなたたちは、本当にそれだけの関係なの?」

 その言葉に何拍か置いて「そうよ」と答えたのは、動揺の表れだった。わたしは、よく知らない彼女の口からこれ以上のことを追及されることを恐れた。いったい、彼女はどこからどこまで知っているのか。見透かされている気がした。
 しばらく様子をうかがっていたが、ミカサが話を始める様子はない。わたしはひとかけら残ったバターロールを食べるのも忘れ、「時間だから行くね」と席を立った。トレーを持って足早に立ち去ろうとするわたしに、ミカサは「どうしてエレンだけを見ないの」と止めをさそうとする。いや、ミカサにとってはそんなつもりはないのだろうけど、わたしにとっては息の根も止まりそうだった。彼女の姿が、エレンとだぶってみえる。真っ直ぐな恋愛感情を、わたしだけを向けているエレンに。ミカサの言うようなことができれば、こんな罪悪感も後ろめたさも知らずにすんだのだ。わたしは、ミカサの問いには答えず踵を返した。




「ナマエさん」




 聞きなれた声に顔を上げると、少し離れたところに、エレンが友人らしきブロンズヘアーの男の子と立っていた。エレンはにこにこと「お昼、もう終わっちゃったんですか。食堂で会うの珍しいですね。」と話し出す。わたしは上手く笑おうとしたけれど、笑顔を作れている自信は皆無だった。わたしの背後から、ミカサが「エレン」と呼ぶ声がする。

 もう、何もかも耐えきれなくなった。何を口走ったかも覚えていないけれど、辛うじて保てていた理性で、エレンの横を通り過ぎた。

140624



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