#6 朦朧と、妄想病

 始発で家に帰ると、肩のあたりにずっしりとした疲労感はあるのに、どうにも目が冴えて眠ることができなかった。シャワーを浴びてからコーヒーを淹れて、テレビで流れているニュースを見る。画面の中では、パステルグリーンのワンピースを着たアナウンサーが「今日は1日中晴天です」と笑顔で告げている。朝日がすっかり昇り切った空は、どこまでも青く広がっていた。
 ならば、と思い切って大掃除をすることにした。玄関からベランダまで一通り掃き掃除と水拭きをして、ベランダに干せるだけの洗濯もし、水回りもぴかぴかに磨き上げる。掃除はあまり得意でない。だから、普段は簡単に済ませるけれど、時折こうやって徹底的に取り組むことがある。集中しているときは、余計なことを考えなくて済むからいい。部屋がきれいになると、気分も少しばかり晴れやかになる。

 そうこうしているうちに時刻は正午近くなっていた。わたしは少しばかり片づいた気持ちで、エレンに電話をかけてみる。なじみの面子と飲み会だったということは、おそらくオールだろう。それであればまだ眠っているかもしれないと思ったが、あえて電話にしたのはわたしのエゴだ。
5回ほどコールしたころ、電話に出たエレンの声は明らかに寝起きで掠れていた。携帯電話のフィルターを通して鼓膜に響くその声が、朝聞いたリヴァイ先生のものとだぶってどきりとする。

「エレン、まだ寝てた?ごめんね」
「…ナマエさん?」
「そうだよ。寝ぼけてるのね」

 ほとんど無意識に笑みがこぼれる一方で、電話の向こうで項垂れているであろうエレンの姿が思い浮かんだ。

「いえ、すいません、俺いま、すげー寝ぼけてる…。」
「オールだったの?」
「はい、久しぶりにずっと飲んでた気がします。」

 エレンの話に出てくる、仲のいい子との飲み会の様子はいつだって賑やかだった。それだけ気の合う友人に恵まれているのだろう。話には聞いているけれど、その場にいるエレンは見たことがない。一体どんな姿でエレンは友人と過ごしているのだろう。

「今日、予定がなかったら会いたいの、夜からでも。」

 そう言うと、エレンは考える間もなく「行きます!すぐ行きます!準備します!」と捲し立てた。終いに「すぐ会いたいです」と言われれば、誘ったのはこちらだというのに照れくささから閉口してしまう。わたしは気をつけてくるように伝えて、電話を切った。
 ソファーに深く腰かけ、細く息を吐きながら、通話終了を示している携帯画面を見つめる。エレンのわたしに向き合う姿は素直というか純真というか、ともかくそんな言葉がぴったりで、自分がひどく汚れたものに見えるときがある。だから、同じように彼に向き合えないことに対して罪悪感が生まれる。わたしがエレンと同じである必要はないとわかっているのに。わたしはわたしなりの方法で、彼に向き合えばいいと。だったら、そのわたしなりの方法とは。
 まぶたを閉じると、何もかもが微睡んでいく。










「ナマエさん!」

 聞きなれた声に、弾かれたように意識が呼び戻される。目を開けると、突然の明るさに視界がくらくらとくらんだ。

「ナマエさん、大丈夫ですか」
 ソファーの背もたれに乗せていた首が痛い。錆びついたブリキ人形のように首を動かすと、不安を瞳に宿したエレンの姿が見えた。

「エレン、」

 体を起こそうとすると、がばりと抱きついてきたエレンの力で、わたしは再び背もたれに押しつけられる。行き場の失った両手を強張らせていると、エレンは泣きそうな声でもう一度わたしの名前を口にした。

「…びっくりしました。」
「エレン、ごめんね」
「何回チャイム鳴らしても出ないし」
「ごめん、寝ちゃってたよ」
「部屋の鍵あけっぱなしだし」
「うん、ごめん、閉め忘れてた」

 エレンの背中に両腕を回すと、さらにきつく抱きしめられる。彼の高めの体温が、わたしの皮膚にじりじりと焼きつく。あたたかい呼吸が、わたしの首元を擽る。心地よいけれど苦しくて、息がつまる。
 不意に体が離れて、うっすら濡れたエレンの瞳に息を呑んだのもつかの間、近づいてきた彼のくちびるを意識すると反射的に体が強張る。びくりと緊張したわたしは、エレンに押さえつけられて動けない。観念したようにゆるゆると息を吐いて目を伏せると、かみつくようなキスが1度だけ降ってくる。荒々しくて苦くて、刹那的だった。くちびるが離れると、ふたりの視線は交わらず、エレンはわたしの肩に額を乗せた。

「ナマエさん、ごめんなさい。」
「どうしてエレンが謝るの?」
「俺、ソファーに座ってるナマエさんが、あんまりにも静かだけど苦しそうだったから、びっくりして、」

 わたしは、エレンから見てそんな表情で眠っていたのかと思ったとき、薄らぼんやりとした夢の内容がぷかりと浮かんできた。

「エレン、びっくりさせてごめんね。心配してくれてありがとう。」

 彼のさらさらとした髪を撫でながら、わたしは夢のストーリーを反復した。最悪で最低な夢だった。


140529



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