#5 夜明けとともにさめていく

 はっと意識を取り戻すと、わたしはソファーにもたれかかったまま眠っていたようだった。柔らかなレザーを感触を肌で感じ、ここが自分の家でないことを悟る。真っ暗な部屋には、カーテンの隙間からぼんやりとした光がひとすじ、差し込んでいる。
 テーブルの上に放置されている携帯を見ると、時間は朝の4時。目をこすりながら部屋をぐるりと見まわすと、リヴァイ先生はテーブルにもたれかかって眠っているようだ。彼が酔いつぶれるなんて、わたしの見る限り初めてのことだ。しかし、徹夜したにも関わらずあんなに酒を飲めばこうなることも頷ける。
 喉が渇いたと思い、台所で水をコップ一杯飲む。ずきずきと痛む頭を押さえながら、冷たい液体が喉に流れ込んでくるのを感ると、少しばかり思考が鮮明になった。

 昨晩は、9時頃から近場のイタリアンレストランで食事をして、深夜になってから先生の家に流れ込んで延々と話を続けていた。お互い、結構な量の酒を飲んでいた。初めのレストランでワインを3本ほど空けたことは覚えているけれど、それから何を飲んでいたかは不明確だ。
 暗がりになれてきた目でテーブルを見ると、空であろうワイン瓶が何本かテーブルに鎮座し、彼のお気に入りであろう上等なウィスキーの瓶まで顔を出している。

 昨日の会話を振り返ると、リヴァイ先生は珍しくわたしの学生生活のことを聞いた。修士論文は進んでいるかから始まり、同期生にはどんな奴がいるのかとか、卒業後の進路とか。「研究員としてこのままうちで働けばいいだろう」とまで言っていた。飲みの席でのそういった言葉は信用してはならないと思っているが、わたしは少しばかり期待しまった。

 だんだんと目が冴えてきて、始発の電車が出る時間も近いので、このまま家を出ようと思った。とりあえず、テーブルの上に散乱したものをできるだけ静かに片付け、リヴァイ先生をベッドに運ぼうとした。けれど、細身な見た目とは裏腹に彼は以外と重量級で、わたしなんかではベッドに運ぶこともできなかった。
 彼を移動させることは早々に諦め、わたしはベッドルームからタオルケットを拝借する。グレーのタオルケットをがばりと抱え込むと、ほのかに洗剤の香りがする。その清潔な香りは、リヴァイ先生にぴったりだと思った。
 タオルケットを先生の肩にかけ、わたしは一仕事終えたかのように息を吐く。暗くてはっきりとは見えないけれど、彼はいま、眠っているはずなのに眉間に皺が寄っている。起きているときと同じ表情だ。この人が安らぐ時間なんて、1日24時間のうちにあるのだろうか。あるとすれば、それはどんな時間なのか。
 わたしは、おそるおそる人差し指で彼の眉間に触れる。触れたか触れていないのかわからないくらいに密やかに。すると、目の前の先生がゆっくりと瞼を持ち上げたので、わたしは慌てて自分の手をひっこめた。その焦りをごまかすように「おはようございます」と声をかけて、ソファーに飛び乗る。今さら物理的な距離を取ったって遅いのかもしれないけれど、そうすることでうるさい心臓を安心させたかった。
 寝起きでぼんやりとしている先生を見るのも初めてだった。研究室で仮眠を取る姿を見たことはあるが、時間になってぱっと起き出すと、今まで本当に眠ってたのだろうかと疑問に思うくらいキビキビと動いていたから。わたしに時間を問いかける声は、低く掠れてセクシーだった。

「朝の4時半です。先生、ベッドで寝てください。わたしは帰ります。」
「お前も、泊まっていけばいいだろう」
「いえ、もうすぐ始発も出るし、目が覚めちゃったので。先生は徹夜だったんだから、ゆっくり休んでください。」

 わたしのその言葉に、先生は「そうか」と同意し、それから玄関まで見送ってくれた。
「ちゃんとベッドで寝てくださいね。」と念を押したわたしに対し、「ガキじゃねぇんだからわかってる」と返された。そんないつもの調子の彼を見て、わたしは安心した。さっきの自分の行動は彼に見られていないだろうと。












 東の空は夜明けが訪れて、地平線のそばがじんわりと燃えている。けれども、空の上はまだ群青が残っていて、そのコントラストがきれいだった。石畳の地面とパンプスのピンヒールが不器用なキスをして、こつこつと足音を立てる。広い街の中、歩いているのはわたししかいないようだった。朝のひんやりとした空気は、ぴんと背筋が伸びる。
 駅に着くと、始発が発車するまであと15分ほどだった。定期券で改札をくぐり抜け、ホームの青いベンチに腰掛ける。ホームにも誰もいない。青白い照明に照らされた空間で、世界にひとりぼっちの気分。
 鞄から携帯を取り出し、いまだ返事をしていないエレンのメールを開いた。それに改めて目を通して、返信ボタンは押さずに、今までのメールを読みかえす。無機質なゴシック体の文字をたどっているだけなのに、その文章はエレンの声で再生されて、わたしの頭の中をぐるりと巡る。すると、わたしは彼の知っている部分を鮮明に思い出すことができる。大まかな彼の姿形から、わたしだから知っているような細かな部分まで。エレンを心の底から愛しいと感じて、とても会いたいと思った。けれど、その愛しさに罪悪感がすり寄ってわたしを苦しめることも気づいている。罪悪感。エレンから来たメールにあえて返さず、彼以外の男性と何もないにせよ一晩ともに過ごしたこと。そんなもの感じるのなら、はじめからプライベートな付き合いはやめればいい。「仕事の延長線」なんて、もっともらしい理由を付けているのはわたしを守りたいからだ。理由づけをして、自分の好奇心や欲求を正当化したいだけ。
 ホームにアナウンスが流れ、ほどなくして始発のメトロが飛び込んでくる。車窓に写るわたしの顔はひどく悲しげだった。
 ばかみたいだ、本当に。


140420




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