#1 あの月のように深く、快く甘美な

 夜9時のチャイニーズ・レストランには、わたしとエレンの他にサラリーマンらしき男性グループが二組。それから、ラフな格好をした初老の男性が1人、カウンターで白酒を舐めている。厨房でコックが激しく鍋を振っていて、がうんがうんと響く鈍い音が少し耳障りだった。
 わたしたちのテーブルには、水餃子と海老のチリソース、チンジャオロース、ザーサイの漬物が並べられ、加えてエレンは大盛りのご飯をもぐもぐと食べている。わたしは、彼に分けてもらったわずかなご飯をちまちまと食べながら、時折おかずをつまんだ。エレンは本当によく食べる。関心するくらいだ。目の前の食事も、おそらく3分の2はエレンの胃に収まる。
 このチャイニーズ・レストランは、わたしが住むアパートメントの近くにあって、わたしとエレンの行きつけだ。中華料理独特の辛味やこってりとした油加減が青年男子にはたまらないようで、エレンは時折ここに行きたがる。油でべったりとした床や、角の装飾がはげているテーブル、ずっと座っているとおしりの痛くなる椅子。お世辞にも清潔とは言えない店内だけれど、長時間たむろするわけではないので不快ではない。しかも、料理は早い・美味い・安いうえに量が多い。わたしとエレンが来るにはぴったりの場所なのだ。
 並べられた皿が、それぞれ半分ほど空いたとき、エレンは「もう1品頼んでいいですか。」と言う。わたしはすっかりお腹いっぱいだったので、「今日はいつもより食べるね」と驚いた。すると、彼は「サークルの奴らとボルダリングに行ったから、腹減ってるんです。」とはにかむ。エレンの所属するサークルで、最近流行っているのがボルダリングというスポーツらしい。わたしは運動がすきではないのでよくわからないが、屋内のジムで道具をレンタルして手軽にできるそうだ。
「わたしはもう食べれないから、エレンが食べれるなら頼みな。」
 彼はぱっと笑顔になり、かに玉を一皿注文した。









 エレンはごく自然な流れでわたしの家にやってきた。そして、わたしたちはごく自然な流れで一緒にお風呂に入る。乳白色のお湯に肩までつかりながら、わたしたちは中華料理でべたべたになったくちびるでキスをしたけれど、エレンは疲れからかうとうとしていたので、のぼせないうちにお風呂から上がった。
 それから、お互いの髪をドライヤーで乾かし、一緒のベッドにもぐりこんだ。エレンはベッドに入るやいなや、わたしをぎゅうっと抱きしめて、小鳥のようについばむキスをして、すぐに眠りについた。珍しく、セックスはしなかった。わたしは、自分の冷たい足をエレンの熱を持った足に絡めてから後を追って目を閉じた。
 








 翌朝、定刻より早く目覚めたわたしは、そろりとベッドから抜け出し、寝間着であるスウェットのワンピースをベッドに脱ぎ捨てて浴室に向かった。朝のシャワーは、寝坊をしない限り日課になっている。コーヒーメーカーでコーヒーを落としている間に、さくっと熱めのシャワーを浴びる。寝ぼけた頭がすっきりとするし、これを始めてから体温が上がりやすくなったのか、ずいぶん体の調子がいい。
 寝室に戻ると、エレンはうつぶせになって枕を抱きしめながら目を閉じていた。彼はとっても朝が弱い。夜更かしをしてもしていなくても、朝はなかなか起きれないのだ。わざとカーテンを勢いよく開けると、きらきらと眩しい朝日が部屋い降り注ぐ。ベッドに腰かけ、ごつごつしたエレンの肩をゆすると、薄目を開けたエレンはなんにも言わずにわたしの腰に巻きついてきた。

「おはよ、エレン。」
「…ナマエさん、甘くていいにおい。」
「シャワー浴びたから。」

 すんすんと鼻をよせるエレンの顔が、ゆっくりとわたしの背筋をなぞる。その密やかで甘ったるい感覚に、わたしはぶるりと身を震わせる。それに気を良くしたのか、エレンはその大きな手で、許可もなくキャミソールの下を這おうとすた。わたしは理性を奮い立たせ、「こらっ」と彼をとがめる。

「エレン、今日は2限から授業でしょ。」
「さぼります。」
「いけません。」
「…昨日エッチしてない。」
「だからって平日の朝からする気はないよ。」

 わたしを見上げる黄金色の瞳に意識ごと飲み込まれていきそうになるが、なし崩しになるわけにはいかない。

「ちゃんと起きたらカフェオレとサンドイッチ作ってあげるから。」

 そんな子どもだましみたいな誘いに、エレンは背中にうずめた頭を二、三度縦に動かして応じてくれた。ゆるゆると離れていく腕を名残惜しく思いながらも、わたしは立ち上がり、放っていたスウェットのワンピースを身につける。

「ナマエさん、じゃあ今夜は?」

 お預けをくらった大型犬のようなエレンに対し、心の中で苦笑しながら、「今日はバイトの日だから何時に終わるかわかんないよ」と告げる。がっくり項垂れるエレンが少しばかりかわいそうになって、彼の髪の毛にキスをしてから「また今度ね。」と曖昧な約束をした。

 エレンの髪からは、使い慣れたわたしのシャンプーの香りがする。



140323

「あの雪のように白く、快いほど甘美な粉薬」
スイスの歴史家、ヤーコプ・ブルクハルトはカンタレラという毒薬についてこう形容したそうです。(安心、安定のWikiさんより)


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