02





 次の日、ナマエは時間通りにやってきた。僕は彼女が来てくれるか不安で、少し早目に来てそわそわと待っていたので、とことこと歩いてくる姿を見つけたときはとても安心した。

「タオル、ありがとう。天気がいいからすぐに乾いたわ。」

 ナマエは昨日僕が貸したタオルを差し出したので、それを受け取った。
 ナマエの頬は昨日より腫れも引いて落ち着いているようだったが、少し青くなっていた。そのことを告げると、彼女は「でも、腫れはひいたの。アルミンのおかげですぐに収まったんだよ」と言った。こんな風になるなんて、誰かに殴られたとしか考えられなかったけれど、昨日、出会ったばかりの彼女のことについてそんな深いところまで踏み込めなかった。


 僕らは座れるところに移動して本を読むことにした。よくエレンやミカサと行く運河のほとりにある階段に腰かけると、ナマエもそれに倣った。

「そんなにきれいな服なのに、こんなところでごめんね。」
「ううん、気にしないわ。わたしこんな服嫌いだし。」
「どうして?」
「動きにくいし、わたしには似合わないよ。」

 ナマエはそう言って、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。それからワンピースの裾を、汚いものを拾うようにつまむ。「アルミンもそう思うでしょ?」と尋ねられるが、そんなこと思わなかった。昨日の洋服といい、今日のクリーム色のブラウスにワインレッドのワンピースもとてもよく似合っている。なので、正直に「僕はそう思わない。とても似合ってるよ。」と言うとナマエはまん丸い目を大きく見開いた後に、顔を赤くしてうつむいた。その様子を見て、僕は自分の言ったずいぶんきざなセリフに気がついてしまった。思わず「ごめん」と謝ると、彼女は恥ずかしそうに「ありがとう」と笑った。そして「アルミンのカーディガンも素敵な色ね」と言った。お世辞なのかなとも思ったが、僕は更に恥ずかしくなって、もごもごと返事をしてから話を逸らした。

「き、昨日の続きを読もうか。」

 ばくばくと聞いたこともないくらい響く心臓の動きをごまかすように、僕は本を開いた。
 僕が本の内容をあれこれ説明すると、ナマエは昨日と同じように興味深そうに聞いてくれた。僕らの知らない世界がこの本には書かれていて、それが現実にあると思うといつだってわくわくする。そしてその話を楽しそうに聞いてくれる人がいることが、僕にとってしあわせなことだった。


「こんなすてきな世界、わたしも見てみたい。」
「そうだね、僕もそう思う。」

 海、という青くてしょっぱい水の絵を指でなぞりながらナマエは楽しそうにしていた。
彼女は海がとても気に入ったようだ。どうしてか尋ねると、「空と同じ色だから、きっと境目がわからないでしょう。どこまでも果てしなく続いている気がしてすてき」と答えた。


「僕は、人類はいずれ外の世界に行くべきだと思うんだ。」

 時に「異端者」と蔑まれる言葉を僕は口にした。ナマエなら受け入れてくれると思ったから。彼女は一瞬驚いた顔をしたけれど、僕の目をじっと見てから「本当に、こんな世界があるのか、わたしも自分の目で見たい」と頷いた。

「でも、壁の外には巨人がいっぱいいるんだよ。」
「そうだね。」
「わたしたちが外に行くには、どうしたらいいんだろうね。」
「…今は、調査兵団に入るしかないと思う。」

 エレンと僕の目標は、調査兵団に入って外の世界を見ることだ。ミカサをはじめ、多くの人がそれを反対する。調査兵団の大多数は所属を望まなかった人たちだということが街中の噂だった。大人たちは壁外調査から帰ってきたぼろぼろの調査兵団を見て、税金の無駄遣いや巨人に餌をやっていると後ろ指をさす。調査兵団を第一希望で選ぶ奴なんか、とんだ酔狂だという人もいた。
 巨人は壁の上にある砲弾でも殺せない。奴らを牽制するために放つだけのものだ。調査兵団はそんな巨人に、武器を装備しているとはいえ果敢に立ち向かっていかなければならない。
 僕は巨人をみたことがないけれど、人間を食べる、人間よりずっと大きな生き物というだけで恐ろしかった。兵士でもない僕らは巨人の前では無力で、街を囲む50メートルの高い壁に守られていた。


「そう考えると、鳥はずっと自由ね。」

 運河の上を、ピチチ、ピチチと鳴きながら鳥が2羽、戯れながら飛んでいた。2羽は器用に流線型を描きながら、街の中心部へと消えていった。僕らは壁を壊すことも越えていくこともできない。でも翼のある鳥だったら壁を越えて飛んでいける。

「生まれ変わったら、自由に飛べる鳥になりたい。」

 ナマエはそう言いながら空を見上げた。その横顔が夕方の赤らんだ光に溶けていきそうで、僕は胸が苦しくなった。

「鳥にならなくても、僕らは自由に生きていけるよ。」

 そう断言できる確信は持っていなかったけれど、理想は持っていた。
 僕をじっとみるナマエの瞳は底がわからないくらい深い深い緑色をしていた。


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