もはや日々の習慣となってしまった部誌を書いていると、今日はわたしが自転車競技部のマネージャーになった日だったことに気づいた。
1年生の春。特に入りたい部活もなかったわたしは、なんとなく帰宅部で何か月かすごしたけれど、正直退屈していた。そのとき、同じ中学校だった福富に誘われて、自転車競技部にマネージャーとして入部したのだ。
 今年で3年目か、と深く息を吐くと、この部活であったことの数々が昨日のことのように思い出せる。
 中学のときはバスケ部のマネージャーをやっていたので、マネージャーの仕事には慣れていた。けれど、自転車のことは全くの初心者だったから、いろいろ覚えるのは一苦労だった。それでも、覚えていくうちにみんなの練習を見ることが楽しくなってきて、今まで続いたのだと思う。
 ずいぶん感慨深い気持ちになって、このことをものすごく誰かに話したい気持ちになった。けれど、あいにく部室にはわたしひとりぽっち。こんなときに限って、時計の秒針がやけにチクタク虚しく響く。さっきまでここには福富がいたのだけれど、なぜか新開から「早く帰ってこい」とメールがあったらしく、先に帰ってしまった。
 とはいえ、部室の鍵の管理は基本的に最高学年のマネージャーがすることになっているので、福富が帰ってしまおうと困ることはなかった。彼は律儀で真面目だから、たいていわたしが仕事を終えるまで自転車の整備や部室の整理整頓をしながら待ってくれている。
 時計を見ると、時刻は20時少し前だった。自宅から通っているわたしの門限は21時。もう少し時間があると思って、自分のロッカーの上段に積んでいる大学ノートを取り出す。それは、わたしが自転車競技部でマネージャーを始めてからつけている、自分用の日誌だった。こなした自分の仕事や、覚えるべき自転車やマネージメントのこと、それから同学年の選手の練習メニューや自主練に立ちあったときの内容を記している。ノートは、今年の春で8冊目に突入した。古いノートは若干色がくすんでしまっている。パラパラと見直していると、無性に懐かしい気持ちがわきあがってきて、ページをめくる指が止まらなくなってしまった。
 すると、部室のドアががちゃりと開いて、ノートに意識を奪われていたわたしはびくりとそちらに目を向ける。

「なんだ、荒北か。」

 ドアの前にはTシャツにハーフパンツという格好をした荒北が立っていて、わたしの言葉を聞くと不機嫌そうに眉根を寄せた。

「俺じゃ悪ィかヨ。」
「悪くないよ。びっくりしただけ。」

 ノックくらいしてよね、と指摘すると、荒北は「ヘェヘェ」と生返事をしてわたしの正面に座る。ぼろぼろのパイプ椅子が、ギィと悲鳴をあげて痛そうだ。
 荒北のラフな格好をみると、おそらく夕食はもう済ませてるだろうし今は自由時間なんだろう。なんで部室に戻ってきたのだろうと疑問を抱いたけれど、「何見てんの」という彼の言葉に、わたしの疑問は吐き出されることなく喉の奥に戻っていった。

「わたしがつけてる日誌。」
「日誌ィ?部誌と違うのかよ」
「うん。わたしも自転車競技は高校で知ったから、こうして勉強してたの。」

 1冊目のノートを荒北に差し出すと、さらりと目を通した彼は「ヘェ」と小さく呟いた。たぶん、これは感心している態度だと思う。すぐに飽きてノートを閉じるかと思いきや、荒北は予想外に真剣な表情でそれを読み始める。なんだか恥ずかしくなって、「そろそろいいでしょ」とノートを奪おうとすると、「ヤダ」と避けられてしまう。

「なんでよ」
「みょうじチャンから見せてきたんだろ」
「そうだけどさ」
「もうちょっと見せてヨ」
「じゃあ、部誌書き終わるまでね」

 そう言って、くるりとペンをひと回ししてから部誌に視線を戻すと、視界に飛び込んできた日にちをみて、さっきまで考えていたことを思い出した。

「そうだ荒北」
「何ィ?」
「わたしね、今日が自転車競技部に入部した日だったの」
「ヘェ」

 ノートに視線を向けたまま、興味のない返事を返してきた荒北に対して、もっと言ってくれてもいいことがあるんじゃないのと不満げに見つめてみたけれど、彼はそれに気づいてくれなかった。こういうところは気が利かないんだからと思ったけれど、まあ荒北だから仕方がないか。ため息まじりの息を吐いて、ジャージのポケットに入っていたキャンディを取り出す。桃味とブドウ味のそれは、さっき新開にもらったものだった。

「荒北、飴食べる?」
「ン」

 わたしが桃味のキャンディを食べたかったから、何も言わずにブドウ味のキャンディを荒北に差し出す。彼の長い指が、むらさき色の袋からピカピカ光るキャンディを取り出して、躊躇なく口のなかに放りこむ。
 わたしは桃味のキャンディを舌で転がしながら、約3年かけて荒北とこんな風に、過ごせるようになったのだなと思った。
 1年生の荒北は、目つきがとても鋭くて、時代錯誤なリーゼントヘアをしていた。授業で当てられれば先生に言いがかりをつけて教室を出ていくような素行の悪さで目立っていた彼を、わたしも遠巻きに見ていた。
 そんな荒北が自転車競技部に入ってきたとき、彼をロードに乗せた張本人である福富はどうやって荒北を手なずけたのだろうと思っていたし、迫力のあるリーゼントがさっぱりとした短髪に変わっていても、目つきと口の悪さと粗暴さは残っていたから、近づきがたい存在だった。
 彼は負けず嫌いで、勝ちに対して貪欲だった。そして、その貪欲さゆえに努力家だった。練習ではすぐ疲れただの面倒だだの言っていたけれど、同級生との実力差を埋めるためにひとりで自主練を積んでいることは知っていた。それの姿を知っていくと、わたしの荒北に対する偏見は徐々になくなっていった。
 自転車競技部で彼と出会わければ、わたしは本当の荒北をずっと知らずに、この高校生活をすごしていたんだろう。

「みょうじチャン」
「なに?」
「これからもちゃんとマネージャーやれよォ」

 部誌に向けていた顔を、がばりと上げて荒北を見やる。思わずキャンディを飲み込みそうになった。荒北は頬杖をついて、素知らぬ顔でわたしの日誌を見ている。
 いけない、口元が緩んでくる。そう思って手で隠したけれど、荒北に「何笑ってンだよ」と睨まれてしまった。

「いや、これは嬉しくて」
「ハァ?」
「…荒北って優しいよね。」
「ウゼー」

 心底めんどくさそうにそう言ってるけれど、さっきから荒北が目を通している、わたしの日誌のページが全く進んでいないことに気づいてしまった。彼なりに精一杯、あの言葉を考えてくれたんだろうと思うと、無表情ではいられない。

「さっさと部誌書けヨ。こっちは待ってンだからさァ」
「うん、わかった。」

 わたしはまた、部誌にシャーペンを走らせる。けれど、急かされているわりにはゆっくりと、丁寧に文字を書いた。盗み見た時計がさす時刻は20時20分。もう少しだけ、大丈夫だ。




せんりさんからいただいた一万打リクです。
荒北と同学年マネで報われるようなお話。
報われるとはなんぞやと言われそうですが…
ありがとうございました!


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -