七瀬くんの夢をみた。大きな円柱の水槽のなかで、七瀬くんがゆうゆうと泳いでいる夢。わたしは、その水槽に触れながら立ちすくんでいた。水槽のある部屋は薄暗くて、ぼんやりとした照明で照らされていた。青色と緑色が混じったような照明の射す水槽には、七瀬くんしかいなかった。水と気泡がぷかぷかと浮かんで、七瀬くんはみたこともない表情をしていた。心地よさそうな彼の顔は、恍惚に浸っているようだった。彼の長い手足が魚のひれのようにゆるやかに動き、それに合わせて水が輝きを増して踊りだす。
 わたしはそれに見惚れていた。







「おはよう」

 登校すると、隣の七瀬くんはすでに席についていて、橘くんと何やら話をしていた。わたしの挨拶に、ふたりとも話を止めて返してくれる。鞄の中身を机に入れながら、こっそりふたりの話に聞き耳を立ててしまう。ふたりは、目玉焼きの黄身の硬さについて話をしていた。七瀬くんは堅焼きがすきらしい。わたしの好みと同じだということに、なんだか胸がざわざわする。
 わたしは、七瀬くんのことが何となく気になっていた。友達はみんな、やさしそうで包容力のある橘くんがいいなんて言っていたけれど、わたしは七瀬くんの不思議な雰囲気に惹かれていた。物静かで、どことなくぼんやりしていて、つかみどころのない彼に、わたしの視線は惹きつけられていた。
 定刻通り予鈴が鳴って、悠悠自適に朝を過ごしていたクラスメイトが自分の席に戻っていく。わたしは今日の夢を思い出しながら、横目で七瀬くんを見る。息をするたび、胸の奥が震えていた。



 放課後、ホームルーム終わりに職員室に呼ばれて教室に戻ると、隣の机の上に携帯電話が置かれたままになっていた。わたしは二、三度まばたきをしてそれを見やる。それから、ぐるりと教室を見回したけれど、持ち主であろう七瀬くんは不在だった。仲良しの橘くんも不在で、このままではこの携帯電話は忘れさられたままになってしまう。わたしは泥棒でもするかのように、きょろきょろと教室を見回してから、その携帯電話をそっと掴み取った。
 七瀬くんが水泳部だということは知っていた。彼から聞いたわけではないけれど、部を創設するときに1年生の男の子がはりきっていたことは校内で有名だったし、橘くんと部活の話をしているのも、何度か耳にした。ならばきっと、七瀬くんはプールにいるはず。
 七瀬くんの携帯電話は万が一落とさないよう、鞄の内ポケットにしまった。

 プールは校舎の端、校門からいちばん遠いところにあった。フェンスで囲われたプールサイドはずいぶんと静かで、人の気配もない。もしかして、今日は部活が休みだったのだろうか。ならば、この携帯電話はどうしよう。
 そんなことを思案していると、目の前のプールからぽかりと浮かび上がる人影が見えた。水面から顔を出したのは七瀬くんで、器用に仰向けで水面に浮かびながら空を仰いでいた。かと思うと、体を反転させ、俊敏な動きで水のなかに潜っていった。あまりに自由なその姿に、わたしはすっかり目を奪われた。
 それは、夢の光景に似ていた。水のなかを悠々と泳ぐ七瀬くんと、フェンスにかじりついて見るわたし。これがデジャヴというやつか。つい最近読んだ小説に出てきた言葉が浮かんだ。

「みょうじ?」

 ぐわん、と声が頭のなかで反響する。水面に浮かんでいた七瀬くんがこちらに気づいて、プールから上がってきた。七瀬くんから滴る水が、プールサイドのコンクリートを濡らしていく。男の子の水着姿なんて見るのは小学校以来で、なんだか目のやり場に困ってしまった。そんな自分に対する羞恥心で、わたしはしゅるしゅると消えてしまいたい気持ちになった。

「あの、七瀬くん、携帯忘れてたよ。」

 鞄から取り出した携帯を見せると、七瀬くんは「あ」と小さく声をあげた。そのままハイと渡したかったが、携帯電話はフェンスの隙間に入るほど小さくはなかった。

「そっち、入口あるから入ってきたら」

 わたしは七瀬くんが指さしたところに向かい、入口まで出てきてくれた七瀬くんに携帯電話を手渡す。わたしは一仕事終えたと思い、胸をなでおろした。
 そのままじゃあねと帰ろうかと思ったが、わたしはつい「七瀬くんは気持ちよさそうに泳ぐんだね」と口にしてしまった。言ってから七瀬くんをじっと見ていたことがばれてしまったかもしれないと思い、体がこわばる。けれど、七瀬くんは気にする様子もなく「ああ。水がすきだから」と言った。

「みょうじは水がすきか?」
「えっ、うん…まぁ。」

 質問に対し、反射的にそう答えてしまったけれど、七瀬くんの意図が汲み取れないことは何だか罰が悪い。

「入ってけば」
「え?」
「プール」
「いやいや、水着ないし!」
「足なら入れるだろう」

 わたしは紺のハイソックスとローファーで覆われた足元を見やる。まあ、確かに入れなくはない。じっとわたしを見る七瀬くんに対し、おずおずと頷いたわたしは、ローファーとハイソックスを脱いでプールサイドに足を踏み入れた。
 ぴかぴかのプールには、透明な水がたっぷりとはられていて、太陽の光をあびた水面が輝いている。きらきらという音が聞こえてくるようだ。それから独特な塩素のにおい。ひさしぶりに嗅いだそのにおいに、頭の右上がつんとする。
 携帯電話をロッカーに置いて戻ってきた七瀬くんは、驚くくらいきれいな姿でプールに飛び込む。その瞬間、飛び散った水しぶきがわたしの目の前を明かしていく。歪む水中でくるりと体を反転させた七瀬くんは、またぷかりぷかりと水面に浮かんできた。
 夢では立ち入ることのできなかった彼のテリトリーに、今わたしが足を踏み入れているという事実に息が止まりそうだった。まるで、わたしも水のなかにいるようなその感覚。それから、曖昧だった感情は、確かな形をして目の前に浮かんでいる。





蒼さんからいただいた一万打リクです。ハルちゃんで片思い。
ありがとうございました!


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