02


 エルヴィンとナマエは、同期で調査兵団に入団した。訓練兵時代からふたりは互いに目立つ存在であった。どの分野もトップクラスだったエルヴィンに対し、ナマエの成績はむらがあったが、座学の成績は他の生徒の追随を許さず、ずば抜けていた。彼女は人並み外れた記憶力を持っており、一度話に聞いたことや本で読んだ知識は忘れないと話していた。その代償なのか、どうも人とのコミュニケーションは苦手なようで、感情をあまり表に出さない姿は他の訓練兵に気味が悪いと噂されていた。
 ナマエの技巧術の成績は歴代一だと教官に称賛され、「技巧の道に進んでみないか」と提案されていたが、「技巧は老いてからでもできます」ときっぱり断り、調査兵団に入団した。エルヴィンは、彼女のその言葉に自身が戦地で死ぬという結末は考えていないのだろうと感じていた。自分たちよりもずっと年上の教官たちに臆せず意見を言う彼女は、怖いもの知らずの肝の据わった女性だと思った。

 入団当初、エルヴィンはナマエになぜ調査兵団に入団したのかを問うたことがある。彼女はいつもの淡々とした調子で「訓練で得た技術や知識をいちばん生かせると思ったから」と答えた。ナマエもエルヴィンに同じ質問をしたが、彼はそれらしい言葉を並べて答えをはぐらかした。そのときに見せた彼女の訝しげで拗ねたような表情は、今までにみたことのないくらい年相応の少女らしかった。

 彼らは、調査兵団に入団すると着実に成果を生み、死亡率が段違いのサバイバルを実力で生き残った。そして、実力主義の調査兵団の中で着実にその実力を認められていった。 壁外調査に行けば、何人もの兵士が死ぬ。毎回、死者数は壁内へ帰ってこれる兵士の数を上回っていた。調査から帰った調査兵団を、温かく迎えてくれる場所などどこにもない。市民からは野次を飛ばされ、ウォール・ローゼに帰れば様々な書類の手続きに追われながら監査からの尋問を受ける。調査の報告書には、ほとんど実になるような出来事は書くことができなかった。彼らが直面したのは、仲間が巨人に喰われ死にゆく様を救うこともできない自分自身だった。
 しかし、次第に立体起動装置や武器の改良も進み、彼らの巨人討伐数はぐんぐんと数を伸ばし、徐々に得られる情報も増えてきた。相変わらず死者数は多く、得た情報が死んだ兵士の数に見合っているかと問われれば口を噤むしかなかったが、彼らはその情報が人類のためになると信じていた。

 そして、数年前の調査兵団の体制変更でエルヴィンは団長の座に就き、ナマエを分隊長に指名したとき、彼女は困惑した表情を見せた。

「わたしに、隊をまとめることなんてできないと思う。」

 その言葉から、先ほどの表情は不安の表れだったのだとエルヴィンは思った。なぜそう思うのか問うと、彼女は途端に口ごもって唇を噛みしめる。エルヴィンは、じっと黙ってナマエを見据えた。

「わたしたち、付き合いも長いからわかるでしょう?」

 ゆらりと揺らぐ灰色の瞳を見て、エルヴィンは長い付き合いから彼女らしくないと感じた。初めての壁外調査のときでさえ、彼女は真っ直ぐ前を向き、揺らぐことなく戦況を見据えていたというのに。

「私は君だったら隊をまとめられると思っている。」
「どうして?」
「長い付き合いからの判断だ。」
「…わたしに、隊をまとめられるような人望はないと思うけれど」

 ひどく落ち込んだ様子でそう話すナマエを見て、エルヴィンはくすりと笑ってしまった。そんな彼を見て彼女は「どうして笑うの」と途端にへそを曲げた。
 訓練兵時代は、感情表現が乏しく他の訓練兵から気味悪がられていたナマエという人間のパーソナリティは、すでに過去のこととなっている。今のナマエは決して感情表現が豊かなわけではないが、訓練兵時代のような退屈さを見せることはなかった。奇人・変人の多いと言われる調査兵団にとてもよく馴染んでいるし、ハンジやミケたちと何気ない会話をして、僅かながら表情の変化を見せていた。何より、ナマエの実力は本物だ。その彼女についていきたいと思う兵士は少なくない。

「君は、もう少し周りを見てもいいと思う。」

 エルヴィンのその言葉に、ナマエは不満げに首を傾げたが、結局彼に押し切られる形で分隊長として部隊を率いることになった。

 それから何度目かの壁外遠征で、巨人との戦闘に巻き込まれたナマエは、奇行種に対して無茶をする所属分隊の兵士を庇おうとして負傷した。巨人の手に払いのけられ、とっさに受け身を取ったものの、衝撃から全身を庇い切れず、頭を強打した。動けないナマエを救ったのは、彼女の分隊に所属する兵士たちだった。ナマエが庇おうとした兵士は、結果的に巨人に喰われてしまったが、それ以外に死者がでなかったことは不幸中の幸いと言えた。
 しかし、壁内に帰還してもナマエの意識は戻らず、医師からもこのまま眠るように息を引き取るだろうと言われた。

 そんな彼女が、帰還から四日目に目覚めたことは、まさに奇跡だった。報告に来た部下からナマエが目覚めたことを聞いたエルヴィンは、溜まっているデスクワークを放り出して、すぐさま病室に向かいたかった。けれど、それも許されないくらい仕事が溜まっており、三日先まで軍法会議を始めとする他の兵士には任せられない予定がびっしりと詰まっていた。
 三日三晩、ほぼ不眠不休で仕事をこなしたエルヴィンは、ようやくナマエの病室を訪れることができた。見舞う前に主治医に病状を聞いたところ、「彼女が自分の口から君に話したいと言っていた」と伝えられた。
 南向きの窓がある病室は、さんさんと日差しが射しこんで、眩しくて白く霞んで見えた。ベッドに仰向けで横たわるナマエは、頭や腕にぐるぐると白い包帯を巻かれていて、右目には眼帯が取り付けられていた。エルヴィンの顔を捉えたナマエは、包帯の巻かれた左手を微かに上げ、彼に「やあ」と笑いかけた。青白いその顔と、見たこともない穏やかな表情に、エルヴィンは恐ろしささえ感じた。

「せっかく来てもらったけど、まだ起き上がれなくて。ごめんなさい。」

 エルヴィンは首を横に振り、ベッドサイドにある椅子に腰かける。

「本当に、無事でよかった。」

 できる限り感情を押し殺して、事務的に言葉を発しようとしたエルヴィンに対し、ナマエは小さく笑った。

「らしくない。なぜそんなに悲しそうな顔をするの。」

 そう言われ、エルヴィンは自分の眉根が苦しげに歪んでいることを知った。当時の彼に、すべての感情を押し殺すことはできなかった。ただ、それは相手がナマエだからという要因がとても大きかった。
 明らかに重傷であるのに穏やかな表情のナマエ、鼻をつく消毒液の匂い、午後の太陽が差し込む清潔な部屋の中。エルヴィンはすべてに違和感を抱いていた。

――病状は、彼女が自分の口から話したい

 主治医がそう言っていたことも引っかかっていた。何かあるのだとしか思えない。その「何か」は全く見当がつかないが、喜ばしい話でないことは予想できた。彼女が目覚めたということが何より喜ばしいことであるはずなのに。

「病状を聞いてもいいかい。」

 ナマエは小さく頷き、ゆっくりと口を開いた。腕と足の骨など数か所折れているが、安静にして自然治癒力に任せれば回復するであろうということ。細かい擦り傷はあるが、その他に目立った外傷はないということ。受け身が取り切れず、頭を強打したことが四日間眠り続けていたことに繋がっているだろうが、自分の名前も生まれも所属もわかるし、なぜ今病室にいるのかも理解でき、記憶は正常に保っているということ。

「いちばん重症なのは、ここね。」

 そう言って右目の眼帯を外し、露わになったナマエの右目を見たエルヴィンは息を呑んだ。彼女の特徴であるグレーの瞳は、白濁していた。

「頭を打ったことが原因だと思う。しかも、見えなくなってる。」

 混乱した頭のなかがさあっと白くなっていく感覚をエルヴィンは感じた。ただでさえ適切な休息を取っておらず、状況判断能力が鈍っている中で、ナマエのその言葉を処理することに時間がかかった。

「まあ、左目だけでも見れれば十分だわ。」

 ナマエはそう言って着丈に笑った。自嘲と取れる笑いだったかもしれない。左目しか見えない彼女の平衡感覚は、日常生活をこなすにも不自由な点が多々出てくることは明白で、ましてや高度な技術を必要とする立体起動を使用できる訳がなかった。彼女は調査兵としても、ひとりの人間としても、壁外に出ることは不可能となった。
 それからしばらく、お互いに声を発することなく時間が経った。視線を合わせようとしないエルヴィンを、ナマエは光が残る左目で見つめる。首が動かないのもなかなかやっかいだった。
 ナマエは、こんなにも憔悴しきったエルヴィンを見るのははじめてだった。彼はいつでも論理的なリアリストだったが、どうも掴みどころがなく浮世離れしている印象があった。感情表出もさして多くなく、そこはナマエに似ていると思っていたが、それなりの愛想があって世渡り上手な部分は全く似ていないと思っていた。
 ふと、指先がぴりぴりと痺れだし、そこからじわじわと不快な痛みが全身に駆け回る。痛み止めが切れてきたのかもしれない。ナマエはそれを悟られないようにぐっと息を吸い込み、エルヴィンに「懺悔してもいい?」と問う。エルヴィンの頭には、自分にそれを聞く権利はあるのかという考えが頭を巡った。けれど、懺悔などという珍しくリリックな言葉を使う彼女を見ると、何か話したいことがあるのだろうと思い、こくりと頷いた。それを確認したナマエは、まっすぐ天井に視線を向けたまま、浅く息をした。

「彼を、助けたかった。」

 ペチカはわずかに声を震わせた。彼とは、彼女が庇おうとした部隊の兵士のことだろうとエルヴィンは推察した。

「頭を打って、景色が霞んでいくなかで、彼が喰われるところを見た。」

 仲間が、巨人に喰われていく姿は何度も目にしてきた。目にするたび心が悲しみや憎しみで覆われないことは一度もなかった。自分に力がないことを悔やんで、来る日も来る日も鍛錬を重ねた。戦略の知恵を学んだ。ひとりでも多く、無事に壁外調査から帰ってこれるように。
 ナマエは、分隊長に指名されたとき、自分にはそんなもの務まらないと思った。けれど、指名された以上役目を全うしなければならない。自分に部下がついてきてくれるのか不安に苛まれたが、それは杞憂だった。彼女の分隊に配属された兵士たちは、皆彼女を尊敬し、真っ直ぐについてきてくれた。

――君は、もう少し周りを見てもいいと思う。

 そう言ったエルヴィンの言葉をナマエは何度も思い出した。自分が思っているよりずっと、周りは自分のことを見て、評価してくれていた。命を懸けて、巨人に挑むために編成された分隊であるのに、彼女にとってそこはとても居心地がよかった。春の陽だまりのような、あたたかくて優しい場所だった。

「君が生きていて、本当によかった。」

 エルヴィンはそう言うと、ナマエの左手に触れた。彼女はじっと目を閉じて「らしくない」と呟いたきり、口を閉ざした。
 

 医師に「もう調査兵として働くことはできない」とはっきり告知されたとき、ナマエは動揺を見せなかった。彼女自身、怪我から目覚めたときにそのことは承知していたのだ。まともに動かない体と、暗闇から目覚めない右目を自覚した瞬間に。
 ただ、エルヴィンの「技巧科に入って調査兵団に残らないか」という言葉には、動揺を見せた。片目の見えない調査兵団の幹部を他の2つの兵団が引き取ることはほぼ考えられない。ペチカは兵団に残るべき存在であった。壁外調査に行けなくとも、彼女の持つ技術や知識を活かせる場所。それは訓練兵時代に称賛された技巧術を活かせる技巧部門であるとエルヴィンは考え、彼女自身もそう考えていると思っていた。

 「少し考えさせてほしい。」

 ナマエはそう言い、少しの間のあと「リハビリのこともあるし」と付け足した。 


 結果的に、ナマエは技巧科に所属して調査兵団に残り、今に至る。


<< >>

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -