※貞操喪失後夜(直接的な表現は出てきません)







 なまえから「今から出てこれる?」とメールがきたのは、一週間も始まったばかりの月曜午後8時過ぎのことだった。自室のベッドの上でだらだらと回し読みの週刊漫画を読んでいた荒北は、目当ての漫画を読み切ってからそのメールに返信をした。待ち合わせ場所はいつものコンビニで、寮から自転車で行けば5分もかからない。クローゼットから取り出した杢グレーのパーカーをはおり、通学鞄に入れっぱなしの財布をポケットに突っ込んで部屋を出る。
 廊下ですれ違った新開は、荒北の姿を認めると「お、」と声を上げた。

「靖友、どこ行くんだ?」
「コンビニ」
「そしたらアーモンドのチョコ買ってきて」

 新開のパシリともいえる扱いに荒北は声を荒げたが、新開は手ぐせの憎たらしいポーズを取った後にすたすたと自室に戻っていく。荒北の舌打ちは、誰もいない廊下に消えていった。



 先程の新開にはいらついたが、今からなまえに会うのだと思うと、不思議とそれは消えていった。暗い夜道を走り抜け、しばらくすると煌々と光を放つコンビニが見えてくる。店先に自転車を停めると、雑誌を立ち読みしているなまえの姿が見えた。この光景は、何度も繰り返し見ているはずだというのに、何度でも心臓がどきりと跳ねる。
 店内に入り、気の抜けた入店音を背中に背負いながらなまえに声をかけると、彼女は立ち読みしていた漫画から顔を上げて、にこりと笑った。ふいに目についた、ショートパンツから伸びる白い脚が眩しくて、荒北は身体の底から湧き上がってくる熱を感じた。

「買い物してくる」
「わたしも、飲み物買う。」

 荒北はいつも通りの炭酸飲料を手にし、なまえは隣のショーケースにあるピーチティーを取り出した。それから菓子売り場に向かうと、なまえは「お菓子買うの、珍しいね」と声をかける。

「寮出る前、新開にパシられた」
「そうなんだ」
「アーモンドのチョコ買って来いって言われたんだけどォ」
「新開くんの好みはわかんないけど、コレおいしかったよ。」

 なまえが指さしたチョコレートは、メタリックグリーンのパッケージで、長方形の箱に入っていた。値札の横には新商品を示すポップが貼られており、それにつられて誰かが買ったのか、棚に並べられた商品の数はいくつか減っていた。
 荒北はそれを二箱手に取ると、真っ直ぐレジに向かって手持ちのジュースとチョコレート、それからなまえが手にしているピーチティーをできるだけ自然に掴み取り、レジに出した。あたふたする彼女の声を半ば無視する形で代金を支払うと、若い男性の店員は律儀に袋をふたつに分けてくれた。それをふたつとも手にしたのも荒北で、すたすたと店を出ようとする彼を、なまえはぱたぱたと追いかける。

「ホラ」
「あ、ありがとう。」

 荒北から差し出されたピーチティーの入った袋を、なまえはおずおずと受け取る。

「荒北くん、お金、」
「これもやるから」
「ええ、」

 もう一方の袋から取り出されたチョコレートの箱が、コンビニの白色灯に照らされて鈍く光る。

「だってこれ、新開くんのおつかいでしょう。」
「バァカ、あいつには1個で十分だろ。」
「え、じゃあ2個買ったのって」
「なまえチャン、これうまいって言ってたしィ」

 差し出されたチョコレートを受け取ったなまえが、それで口元を隠しながら「ありがとう」と微笑んだのを見て、荒北は内心満足していた。けれど、その喜びを悟られないよう、くるりと背を向けて自転車のロックを外す。

「帰り、送るから。」
「うん、ちょっと寄り道しよ。」




 なまえの家はコンビニから徒歩3分と近い距離にある。街灯が点々と光る住宅街に入ると、すぐ右手に小さな公園があり、そこはもっぱらふたりが“寄り道”として利用する場所だった。遊具がブランコと砂場しかない簡素な公園は、なまえによると夕方に子どもが数人しか使っているところを見ていないという。
 ふたりで木製のベンチに腰掛けると、しっとりした夜の空気が辺りを包んだ。荒北はビニール袋から炭酸飲料を取り出して、からからの喉を潤そうとする。ぐいっとキャップを捻ると、ぷすりと中の空気が抜けていく。口にしたそれは、いつもと変わらない味だったが、どうも喉の奥がべたべたとする気がした。
 隣にいるなまえは、買ってもらったチョコレートを取り出して荒北に一粒勧めてきた。彼女の指につままれたそれを、荒北は「食べさして」と注文する。なまえは一瞬身を強張らせたが、こくりと頷いて長い指を彼の口元に運んだ。荒北は、その指に噛みついてやりたいという考えが頭をよぎったが、その衝動をぐっと抑える。薄いくちびるに触れた彼女の指は、とけるほど甘かった。

「なまえチャン、ビビりすぎ」
「だって、」
「ちょっと傷つくんだけどォ」

 荒北が冗談半分でそういうと、なまえはぐっと押し黙って、今にも泣き出しそうにさえ見えた。からかいすぎたかと思い、言い訳の言葉を紡ごうとすると、彼女は上ずった声で「昨日の今日で、恥ずかしいんだもん」と言う。恥ずかしいという言葉とは裏腹に、顔も視線も逸らさずに。
 このまま、昨日みたいに距離を縮めて、くちびるに噛みついて、細い肩をつかんで、ばかみたいに熱のこもった肌をぶつけることができれば、それはどんなにしあわせなことかと、荒北は思った。だけどそれはできなくて、今はこうして適切で理性的な距離を保っていなくてはならない。その葛藤を押し込むかのように「昨日の、ヤだった?」と尋ねてみせれば、なまえはぶんぶんと首を横に振る。予想通りの答えだったが、それが返ってきたことに安心している自分もいた。

「やじゃないよ。むしろ嬉しかったというか」
「ヘェ、嬉しかったんだ」
「なんだか今日の荒北くんはいじわる。」
「嫌いになる?」
「なるわけないじゃん、荒北くんのバァカ」

 なまえにしては、珍しく乱暴だけれど甘ったるい言葉に「ハァ?」と笑い混じりで返す。

「荒北くんの真似だよ。」

 なまえが冗談を口にするときの、猫のような瞳が荒北はすきで、いつだって彼の情動を混沌とさせた。構ってほしいと無言で訴えるような、楽しげで渇望に溢れたその目は、いつだって魅力的だった。なまえがそんな瞳をして冗談をいうような人間ではないと思っていたから、彼女との交流が増えてその姿を見たとき、彼の心はぐさりと射抜かれてしまったのだ。

「痛かっただろ」
「…うん、まぁ。でも、」

 その後の言葉を紡ぐことに躊躇しているなまえの手を、荒北は握りしめることさえ憚られる。失った日曜日のあとにやってきた月曜日は、普段の何ら変わらない日常であったとしても、失ったものは戻ってきはしないのだ。



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