思えば、わたしは昔から欲しがりなこどもだった。友達がかわいい消しゴムやらメモ帳を持っていればそれを欲しがり、着ている服がかわいければ同じものが欲しくなった。小さなころはあれこれ欲しがってもあまり咎められなかったし、消しゴムやメモ帳など高価でないものや量があるものはみんな快く分けてくれた。それに、わたしはどんな風にお願いすればみんながそれをくれるのか、どんな子に頼めばそれをくれるのか、子どもながらに知っていた。 わたしのふたりの兄なんか、わたしが「お兄ちゃんのやつがいい」と泣きつくのを待っているふしがあった。例えば、お誕生日のホールケーキ。几帳面なお母さんは、きっちり均等に切り分けるのだけど、わたしは自分のお皿に置かれたそれと、お兄ちゃんたちのお皿に置かれたそれをまじまじと見比べる。ケーキを縁どる生クリームがきれいな方だとか、ちょこんと乗っかっているイチゴの大きさや赤さとか。そうやって比較をして、やっぱりお兄ちゃんの持っているケーキのほうが素敵だと思うと、わたしはそれを欲しがる。お母さんには咎められるのだけど、お兄ちゃんは「俺もお前のケーキのほうがうまそうだと思ってたんだ」とかなんとか言っていつもケーキを交換してくれた。末っ子で妹のわたしは、ずいぶん兄に甘やかされてきたのだ。 わたしには、幼馴染の男の子がふたりいて、彼らはわたしの欲しがりさをよく知っている。幼馴染のひとり、ハルちゃんはわたしの欲張りにうんざりしているようで、わたしが「欲しいなあ」とか「いいなあ」と言うと、ちくちくした声でわたしの名前を呼び、とっても嫌な顔をする。 しゅんとなるわたしを慰めてくれるのが、もうひとりの幼馴染マコちゃん。わたし、マコちゃんにはとってもわがままになってしまう。マコちゃんはわたしがいろいろ欲しがっても、ハルちゃんみたくちくちくした声や嫌な顔をしないので安心する。「何でこっちがいいの」と聞いてくれる。わたしはその事情を必死で説明する。わたしはどうやったらそれが手に入るのか、自分のことしか考えていないというのに、マコちゃんはうんうんと話を聞いてくれる。マコちゃんは、本当にやさしい男の子。 そんな欲しがりのわたしだけど、年齢が上がるとともに少しずつ「欲しい」とか「交換して」は口にしないようにしていた。ある程度の年齢になれば、その言葉は疎まれる。みんなハルちゃんのような反応をする。いつだかそういった反応が普通なんだと思うようになってから、欲しがりな言葉は飲み込むことにした。けれど、「欲しい」という思いはもやもや心のなかに残ったままで、わたしの心は曇ったままだ。 しかし、最近どうしても欲しいものができて困ってしまった。わたし、友達の彼氏が欲しくなってしまったのだ。 この間、マコちゃんとふたりで学校から帰っていると、友達とその彼を偶然見かけた。 「あれ、なまえの友達じゃない?」 公園を横切ろうとしたとき、マコちゃんにそう言われて指さされた方に目を向けると、確かにわたしの友達と見知らぬ男の子が、ふたりで仲睦まじげに話し込んでいた。会話の内容まではわからなかったけれど、時折楽しそうな笑い声が聞こえてきた。 本当に、そのふたりを見たのはつかの間だった。それに、かなり遠目だったから相手の男の子がどんな外見をしているのかさえほとんどわからなかった。なのに、心がどきどきして、ざわざわしたのだ。 わたしはマコちゃんの手をぐいっと引っ張って足早にその場から立ち去った。つむじらへんに「痛いよ」というマコちゃんの困った声が聞こえた。 「マコちゃんって、デリカシーないよねっ」 「ええ?」 「ああゆうのは邪魔しちゃダメなんだから。」 わたしは、見知らぬ男の子が友達に向けるいとおしげな視線を見たら、その視線がわたしに向けられたらいいのにと思ってしまった。はっきり見えたわけではないのに、どうして。あの彼は、どうやったって手に入らないものなのに、わたしは欲しくて欲しくてたまらない。友達の彼氏を欲しくなるなんて、人として最低じゃないかと後ろめたく思う気持ちと、それでも彼が欲しい、あの視線をわたしに向けてほしいという欲望がせめぎ合って、本当にどうしようもなくて、でも誰にもそんなことは言えなくて。 ベビーピンクで染め上げた指先で、携帯のキーを押す。「今すぐきて」というメールの送信先はマコちゃん。あの子の彼を想うと、わたしの心はきりきりと悲鳴を上げて、描かれる想像を黒い絵の具でぐしゃぐしゃに塗りつぶしたくなった。そんなこんなで、1週間ほど落ち着かずに困っていたわたしは、マコちゃんを頼ることにした。わたしの気持ちをくみ取ってくれる、やさしい幼なじみ。 指先のマニキュアは、少し剥げてしまっている。この色は、例の友達とおそろいだ。彼女の指先に塗られたこの色がとてもきれいで、わたしも同じものが欲しいと思った。 「そのマニキュア、かわいい。」 わたしがそういうと、友達は「ほんと?」と微笑んだ。 「この色、彼氏と選んだんだー。」 その言葉に、わたしの心は注射器が刺さったようにちくりと痛んだ。 「ねぇ、わたしも真似していい?」 そう尋ねると、彼女は「いいよぉ」と言う。その日の放課後、一緒にドラッグストアに行って彼女と同じマニキュアを買った。 ぽってりとしたガラス瓶に入ったマニキュアはとてもかわいらしくて、わたしは意気揚々とそれに爪に塗りつけた。わたしの爪も、憧れた彼女と同じ色に染められる。かわいい、と思った。けれど、何だか少し物足りなかった。 マコちゃんはすぐやってきた。家もすぐ近くなわけだし、歩いて3分もかからない。それに、マコちゃんは呼び出すとたいていすぐに来てくれる。「今すぐきて」なんて言わなくても。 マコちゃんのことをとっても気に入っているお母さんにつかまると面倒なので、呼び出したマコちゃんがやってくるのを玄関の前で待ち構えて、すぐに部屋にひっぱり込む。そして、マコちゃんは居心地悪そうにわたしの部屋に鎮座する。現代文で習った「借りてきた猫」ってこういう意味なのかなと思う。マコちゃん、昔はわたしの部屋でも平気でごろごろしていたのに、中学生くらいになってからそれをしなくなった。準備しておいたコップにオレンジジュースを注いであげると、マコちゃんは「ありがとう」と受け取った。 「それで、今日はどうしたの?」 「な、何が?」 「何か話したそうな顔してるけど。」 話したいことがあるなんて一言も口にしていないのに。わたしが「うっ」と口ごもると、「そうじゃなきゃあんなメールしてこないでしょ」とマコちゃんは笑う。まったくもってその通りだ。とりあえず、オレンジジュースをひとくち飲むと、甘酸っぱい味が口の中に広がった。後から喉のおくに駆けていく苦味が、今いちばんほしいものが手に入らない苦しさに味をつけていくようだ。 「…わたし、また欲しいものができちゃったの。」 「誰かが持ってるもので?」 「そう。」 「何が欲しくなっちゃったの?」 またもごもごと口ごもるわたしを、マコちゃんは不思議そうに見ている。 「クイズじゃないよね?」 「そのつもりはないんだけど…」 「言いにくいの?」 「…うん。さすがのマコちゃんでも呆れるかも」 「呆れる?」 そうに聞き返してくるマコちゃんの目はいつも通りまっすぐで、思わず目をそらしてしまう。わたしは、マコちゃんに対してはわがままを受け止めてもらえると安心しきっている。だから今回もマコちゃんに相談しようと思ったのだけど、もしかしたら軽蔑されてしまうかもと思うと、土壇場になって怖くなった。 「呆れるかどうかは聞いてみないとわかんないけど、」 「だよね…」 「できるかぎりなまえの味方でありたいと思うよ。」 マコちゃんのその言葉をきいたら、わたしは泣きたい気持ちになった。本当にマコちゃんはいつだって優しくて、わたしの話をちゃんと聞いてくれる。わたしはそれを知っていてマコちゃんに頼るわけだけれど、マコちゃんの言葉はわたしの想像を軽々と超えていくのだ。そのやさしさは、時折痛みさえ感じさせる。 よく考えると、わたしがマコちゃんに話すことは、相談ではない。だって欲しい物は、マコちゃんに話そうともどうやっても手に入らないのだから。わたしはこの欲求がどんなことをしても満たされないし、心の不安定が続くのだと知っているから、別の方法で安定しようとする。マコちゃんはわたしの話を聞いて嫌な顔をしない。やさしくやさしく話を聞いてくれるから、わたしは安心していられるのだ。 「なまえは泣き虫だね。」とマコちゃんは言う。やさしい声で、そう言ってわたしの頭をなでる。マコちゃんの大きな手で頭をなでてもらうと、安心する。 「わたし、友達の彼氏が欲しくなっちゃったの。」 「えっ!」 「…さすがに呆れた?」 「呆れたというかびっくりしたけど、理由があってのことなんでしょ?」 理由。彼のあの、いとおしげな視線が、わたしに向けられればいいのに。それが理由だけれど、マコちゃんのやさしいまなざしを見たら、それが彼の姿にだぶって見えた。だけど、マコちゃんのまなざしとあの彼のいとおしげな視線は何だか違う。マコちゃんは、ほんとうにやさしい。わたしの大切な幼なじみで、それ以上でも以下でもない。 そう思ったとき、わたしはわたしでしかいられないという当たり前の現実に気がついてしまった。同じ色のマニキュアを塗ったわたしを、彼が見たとしても、あの視線は向けられない。彼は、あの子であるから、あんな甘ったるい視線を向けることができるのだ。 「わたし、あの子になりたかったのかな。」 ぽつりと呟くと、マコちゃんは首をかしげて「なまえはなまえだよ」と言う。その言葉にひとつ頷くと、ちょっとだけ涙がこぼれた。 「あの子がうらやましいの。」 頬をすべっていく滴を拭うマコちゃんが、どうしてそんな顔をしているのか、わたしにはさっぱりわからなかった。 140429:加筆修正 |