※成人後の話です。






 がやがやとざわついた居酒屋を出ると、冷たい外の空気が一瞬でからだを包む。ぶるる、と反射的に身を震わせて、ぐるぐると首に巻いたストールに口元をうずめた。「女子は先に出てて」と言われて、半ば強制的に店から出せれたわたしとコウちゃん――もとい、松岡江ちゃん。ゴウという名前がかわいくないから呼ばれたくないそうだ。――は、寒空の下で男性陣を待っていた。
 コウちゃんは「なまえさんとお話できて楽しかったです」と屈託なく笑う。それはとてもかわいらしい笑顔で、無性にどきどきしてしまった。彼女は、飲み会の最中もいろんな表情を見せて楽しそうだった。真琴の高校の水泳部で紅一点の生徒だったらしく、みんなにかわいがられている様子が伺えた。
 そんな彼女から、「メアド、交換しませんか?」と首をかしげて愛らしく言われれば、断れるはずもない。最も、断る理由もない。わたしたちは、赤外線通信で連絡先を交換し合った。
 その最中、店の中からがやがやと賑やかな男性陣が出てくる。先陣を切って出てきた渚くんが、わたしとコウちゃんが連絡先を交換している姿を見て「あーっ!ゴウちゃんずるい!僕も僕も!」と指をさした。彼の、成人男性にしてた高音の声が夜の町中に響く。
 今にも飛びかかってきそうな彼の着ているコートのフードを掴むのは、赤いメガネがトレードマークの怜くん。その後ろから同級生トリオの真琴と遙くんと凛くんが出てくる。
 3人の中でも抜きん出て背の高い真琴の姿が見えたとき、わたしはほっとしてしまった。今日集まった面子のなかで、わたしはみんなと初対面だったから。みんなとってもいい人たちだし、楽しかったけれど、やはり初対面の人たちとの飲み会は緊張した。
 店の外でもわいわいと盛り上がるみんなに紛れて、真琴はわたしのとなりにやってくる。小さな声で「疲れてない?」と尋ねられたので、「少しだけ。でも楽しかったよ」と答える。
 みんなは「2軒目に行こう」という意見でまとまったようだが、真琴は「俺となまえは帰るよ」と言った。コウちゃんと渚くんには帰らないでほしいと引き留められたが、残りの3人に諭されていた。


 2軒目のお店に向かうみんなと別れて、わたしと真琴は帰路につく。少しばかり歩いただけで賑やかな喧噪はすうっと消えて、ふたりの足音と真琴の楽しげな声が響く。「みんな変わってないなぁ」と弾んでいる声に、わたしはうんうんと相槌を打つ。
 時折すれ違う車のヘッドライトがまぶしくて、目がくらむ。それを避けるかのようにゆっくり瞬きをして空を見上げると、ふかい群青色が目に飛び込んできた。そして、しばらくするとぽつりぽつりと光る星が浮かびあがってくる。わたしは、真琴の話が右から左へと流れていくなかで、その空に見とれていた。こんなに星がきれいに見える場所に来たのは、小学校の林間学校ぶりかもしれないと思う。
 ここは、真琴が18歳まで過ごした町。彼の18年間の思い出が、数えきれないくらいつまっている町。今日、わたしは、わたしの知らない彼に触れた。

 真琴が「今年の年末は俺の地元に来ない?」と言ったときから、気持ちの準備はしてきたつもりだった。彼の青春はわたしのものよりもずっときらきらしていて、聞くたびにとてもまぶしかった。特に、水泳仲間との思い出は感慨深く、彼らとの絆は相当なものなのだろうなと思った。真琴が大切に思っている思い出のなかに出てくる家族や友達、街を見たい気持ちは強かったけれど、その陰でわたしの知らない彼を知ることへの恐怖心もあった。
 そして、彼の18年間のなかにわたしがいなかったという事実を目の当たりにしたとき、言いようのない胸の苦しさをを味わった。そのとき、わたしが恐れていたものは、わたしの知らない彼を知ることではなく、彼の過去の人生にわたしがいないということに気がついた。いくら真琴の幼なじみたちがわたしを受け入れてくれたとしても、彼らが語る思い出のなかにわたしはいない。どうしたって疎外感のようなものは感じてしまう。このひとたちは、わたしの知らない真琴を見てきているんだと思うと、どうしても苦しかった。胸がぎゅうっと締めつけられるたび、わたしは自分をばかだなぁと卑下する。成人してから出会ったわたしたちが、お互いそれまでの人生を知らないことは当然なのだけれど、そういう理屈では丸め込めない苦しさでわたしはいっぱいになる。

 「なまえ?」と真琴に呼ばれて、わたしははっとする。「やっぱり、楽しくなかったかな」と言う彼の表情は暗がりではっきり見えなかったけれど、明るいものではなかった。そんな彼を見て、わたしは思いっきり抱きついて、離れないように腕いっぱいに力を込めてキスをせがみたい気分になった。けれど、そんなことを道端でする勇気はわたしになくて、せめてもの思いで真琴の腕にしがみつく。着なれた彼のダッフルコートからは、真琴の香りに交じってさっきまでの宴の香りもした。
「今日は甘えたなの?」
 そう尋ねる彼のやさしい眼差しが、つむじのあたりに向けられる。
「酔っ払っちゃったみたい。」
 わたしの安っぽいせりふに、真琴はくすくす笑いながら「言うほど飲んでないでしょ」と言った。確かに、お酒をあまり飲めないわたしは二杯ほどしか飲んでいない。コウちゃんと甘くておいしそうなお酒を選んで、ちょっとずつ飲み比べをした。対して真琴を含めた男性陣は結構なお酒の量を飲んでいて、ちょっと心配になるくらいだった。けれど、今わたしの隣を歩く真琴の足取りはしっかりとしていて、何の心配もなさそうだ。いつもよりちょっと愉快な雰囲気がするけれど、それはお酒と旧友たちと会えたことの相乗効果だろう。
「今日は楽しかったよ」
 わたしがそう言うと、真琴がほっとしているのがわかった。
「でも、ちょっと寂しくて、楽しかったと寂しかったが入り混じって不思議な感じ。」
「……寂しい思いさせて、ごめん。」
「謝らないで。真琴が悪いわけじゃないし、かといって自分でコントロールできるものでもないの。」
「わかるよ。俺が、なまえの友達のなかにいてもそうだと思う。」
 真琴がわたしの旧友――仲のいい子はみんな女性だ――のなかでゆうゆうと過ごしている様子は想像できなくて、体を縮こませて居心地悪そうにしているほうがぴったりだわ、と思うと妙におかしかった。
「でも、みんなになまえのこと紹介したかったんだ。」
 その言葉だけで十分だった。今も続く真琴と水泳仲間との大切な思い出のなかに、わたしが存在し始めた今日は記念すべき日で、これからゆっくりと馴染んでいくのだと思う。
 夜はどんどん深まっていく。ここは知らない場所だけど、何もこわくなかった。星がきらきらと夜空を照らしてくれるし、隣には真琴もいる。真琴の腕から体を離し、「手をつないで」とお願いする。真琴のすらりと長い指がわたしの指を絡めとり、彼のダッフルコートのポケットにさらっていく。それはとてもあたたかくて、わたしは今ここにいるんだと確かに思うことができた。


140429:加筆修正


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