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〜恭一side〜






大分、遅れてしまったな……





腕時計に目を落とした私は、急いでバックヤードへ向かう







美羽さんから『会って話したい事がある』と言われ、この後会う約束をしていたのだが




こういう日に限っていつもより店内は混雑し




全てが終わる頃には、すっかり遅くなってしまっていた






着替えたシャツの鈕を止めながらジャケットを手にし



戸締まりを他のスタッフに任せ、足早に店を出る









これから、彼女の口から何を聞かされるのか…




正直、不安しかなかったが






それでも、今のこの状態よりはずっといい筈だ








早足に歩きながら再び腕時計に目を落とし





やはり、心配を掛けないよう連絡を入れておいた方がいいだろうと



ジャケットのポケットから携帯を取り出し、美羽さんの名前を探す






元々、登録件数の少ない電話帳から美羽さんの番号はすぐに見付けられた






見慣れた名前と番号を確認し、通話ボタンを押そうとすると――――……











「恭一さ〜ん!待って下さいよぉ〜」





早いリズムで刻まれるヒールの靴音と共に、先程まで聞いていた声が背中から耳に届く






携帯をポケットにしまい



わざとらしいげんなりする声に小さく溜め息を吐きながら振り返ると






「途中まで一緒に帰りましょ〜♪」





詩音さんは私のすぐ傍まで来ていて





「やっと、追い付いた〜」




甘ったるい勘に障る猫なで声を出しながら、私の腕に絡み付いてきた






「もー、恭一さん、歩くの早過ぎです!」





「詩音さん…すみません。この後、私用がありますので…」




露骨に嫌な顔をし、彼女の腕を解くが






「そんな冷たい事言わないで下さいよ〜。途中までって言ってるじゃないですか〜!夜道は怖いんでご一緒して下さい、ね?」






気が付いているのか…いないのか……



彼女は一方的に捲し立てる









こんな事をしている場合ではないのに…








「すみません。今日は本当に急いでいるんです。夜道が怖いと言うのでしたら、店にまだ誰か……」



「恭一さんがいいんです!―――恭一さんじゃなきゃ…駄目なんです……」





それまで明るかった表情がみるみる萎むように小さくなり、涙を瞳いっぱいに潤ませ



私のジャケットの裾を遠慮がちに握り締めながら、上目使いに私を見上げる








彼女程の美人にこんな事をされたら、世の男たちは浮かれ喜ぶのだろう……








けれど、私にとってはどうでも良かった







「申し訳無いがあなたの気持ちには……」








はっきりと確然たる気持ちを告げようとしたその瞬間









シトラスの香りと共に温かい柔らかな感触が唇に触れる






美羽さんとは違う匂い






美羽さんとは違う唇








突然の事に驚きはしたものの、私の心は少しも揺るがなかった






何も響いて来ない







だから、拒む事もしなかった











ゆっくりと唇を離した彼女を見下ろしながら言葉を続ける








「こんな事をしても、私はあなたのモノにはなりませんよ。あなたには何の魅力も感じない」






怒りにも似た煩わしさが、抑えようとしても出てしまっているのが


抑揚のない自分の言葉からよく分かる









美羽さんでなければ私の心は動かせない





彼女でないと駄目なんだ











「では、私はこれで…。気を付けて帰りなさい」






一刻も早く、美羽さんに会いたい





皮肉にも詩音さんがした事は、美羽さんへの想いを再確認させただけだった













───コツ…ン……







その時、どこからか微かに靴音が聞こえたような気がして、店がある方向に視線を向ける






けれど、そこには誰もいない









気のせいか…








そのまま、アモーレに向かおうと身体を反転させると






ほんの一瞬






本当に一瞬だったが、人の背中が見えた










それは…後ろ姿でも、一瞬でも見間違う筈のない








「美羽さんっ!」







愛しい人の背中だった











「美羽さん!―――っ…美羽!!待ちなさい!!!」




自分でも驚く程、咄嗟に大声が出た







いつからそこにいたのかは分からないが



きっと彼女は、さっきの光景を目にしてしまったのだろう







何て事だ



要らぬ誤解を与えてしまった







慌てて美羽さんを追い掛けようと走り出すと






「待ちなさいよ!」




詩音さんが私の腕を引っ張り、その行く手を阻んだ










「行かせない…」






彼女のその瞳は、屈辱を受けた怒りの色に満ちていた















bkm



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