世界を創った魔王の記録。 | ナノ
 ■ 序章 1



 華美ではないが品のある調度品で飾られた広い一室に“魔王”アルナ・レゲンディーニはいた。玉座に深く腰掛けて尊厳に足を組むその姿は流石“王”と言うべきか。その場にいるだけで存在を強く主張するような熟練した強者の雰囲気を纏っている。
 そしてアルナと全く同じ空気を纏う人物がこの場にはもう一人いた。
 こつり、とわざとらしく靴音を鳴らしながらアルナの元に近づいて来る初老の男こそがこの戦争を引き起こした原因であり元凶。アルナから放たれる身が竦みそうな威圧感をものともせず、旧友の家に遊びに来たような気軽さで“人王”ハウリーク・エンバストは穏やかな笑顔を浮かべた。

「おや、貴殿一人かね?」
「……随分と、白々しい台詞だ」

 静まり返る室内で一人心底楽しげに笑うハウリークにアルナは忌々しげに顔を顰める。
 表情や言動、雰囲気、全てがアルナの知っているハウリークと何も変わりはしないのに何故か全くの別人を相手にしているような妙な得体の知れなさを感じて、アルナは目の前の相手に対し一層警戒を強めた。
 今のハウリークは違和感の塊だ。入れ物だけが同じで中身がまるで違う。
 上手く化かしているのか、それともハウリークが以前の原型を留めぬまでに変容してしまったのかはアルナに分からない。けれど今確かなのはハウリークがアルナを裏切り、そしてそのアルナを殺そうとここにやって来たことだ。
 アルナが同胞を全滅の危機に曝さないと真に分かっていたからこそハウリークはあの台詞を吐いたのだろう。アルナが同胞を逃がしたと理解しながらも焦った感情が欠片も見受けられないのは、事実ハウリークにアルナの同胞など一切の興味がないからである。
 ハウリークの目的はきっと、一貫して魔王であるアルナだけなのだ。

「それで、貴様は結局何がしたかったのだ?」

 異様なまでの執着に気づきながらもアルナはどうでもよさそうに一蹴した。
 ハウリークの執着の最終地点は戦争だった。アルナの同胞はこの戦争で数えきれないほどなくなり、栄えていた町並みは廃れて活気があった頃の面影は消えてしまっている。
 アルナが築き、アルナが創り上げた国はハウリークの手によって滅びた。しかし本来この戦争がまともな戦いであったのならばアルナが“逃げる”なんて選択肢を選ぶことはなかったはずだ。それでも一対一の、王対王の対決を選んだのはこの戦争の違和を、ハウリークの変容した異質さをきちんとアルナが実感しているからだろう。
 異常なのだ。この戦争も、ハウリークも何もかもが。
 酒を飲み交わしお互いの将来を語り合った友人は変わってしまった。以前のハウリークと一見変わっていないが、変わっていないのならばまず戦争なんぞ起こすはずもない。友を、アルナを、同胞の信頼を裏切ってまでする戦争など、あの慈悲深かったハウリークがするとは到底思えなかった。
なんのための戦争か、なんのための虐殺か。未だに疑問は残る。けれどもハウリークにどんな理由があってこの戦争を起こしたとしても、これだけは。
この裏切りを、王であるアルナは絶対に許してはいけない。
 それでも、最期に聞いておきたかった。最後まで知ることがなかったハウリークがアルナを裏切った理由を、どうしても最期に聞きたかった。

「どうして私を裏切ったのだ、ハウリーク!」

 そのとき初めてハウリークに目に見える変化が現れた。
 必死に包み隠していたものが剥がれ落ちたように、どろどろとした濁ったものが瞳に映る。表情は相変わらず穏やかであるのに瞳の濁りだけが際立ち不気味で気味が悪い。しかしそれを見たのは束の間でハウリークはおもむろにその瞳を伏して、神妙に呟いた。

「――人間というものは、いつの世もそういうものなのだよ」

 その言葉を合図にハウリークは納めていた剣を引き抜いた。
 “聖剣”と呼ばれるその剣は悪しき力を浄化する能力に特化した伝説の剣であり、“魔王”であるアルナにとって唯一相性が悪い相手。それの剣先を躊躇なく向ける意味なんて、最初からたった一つだけだ。

「もう我々は引き返せないところまで来てしまったのだ。最初から、共存など考えるべきではなかった」
「……貴様は変わったな。魔族と人族の共存を望んでいた貴様の言葉とは到底思えん」

 ハウリークは一拍置いて、困ったように笑った。

「我(わたし)も、現実を見たのだよ」

――ああ。
 このとき、アルナはまだ心のどこかでハウリークとの友情に救いがあるのではないのかと切望していた自分に気づいた。同胞の弔いを謳っておきながら、大団円でお互いに手を取り合って終わるお綺麗ごとを誰よりも望んでいたのはアルナ自身だったのだ。
――なんて、救えない話だ。
 それに対してハウリークは現実を見て、諦めて、妥協して、そしてここに来たのだろう。恨まれることを自覚してもなお、それでもハウリークには魔王アルナを殺す、ということに何かしらの覚悟があったに違いない。
 共存を望むには、手を取り合うには、お互いの意志の違いを認め合うには、アルナとハウリークはあまりにも大切なもの多すぎた。きっと、もう決定的に相容れぬほどにお互い変わるのが遅かったのだろう。
 だからこそ、今、けじめをつける。何もかも、絡み合った呪縛を解くために。
 アルナは玉座から降り、とんとん、と二回靴のつま先を鳴らして肩をぐるりと回す。その動作は訓練のような気軽さを垣間見せるもので、真っ向から戦う意思を見せた姿だ。
 アルナはハウリークに視線を合わせ、にい、と口角を上げるだけの不敵な笑みを浮かべる。戦闘の態勢をとりながら言った。

「貴様の選んだ道はきっと後悔するぞ、ハウリーク」
「ああ、十二分に分かっているとも」

 ザッ、と地面を力強く踏みしめる音だけが寸秒部屋を包む。
 ピリピリと肌が粟立つほどの緊張感に支配され、アルナとハウリークは戦いの高揚感からか無意識の内に高鳴る胸の鼓動のまま、あらゆる激情を混ぜ込んだ想いを告げた。

「私の同胞を殺し、私の世界を殺したその罪、その身を以て償う覚悟は出来ているのだろうな“人王”ハウリーク・エンバスト!」
「永い時を生き、変容せずに存在する貴殿には我ら人間のことなど真に理解出来まいよ。常に変わり、時に身を任せ、弱く無知で! それ故に大きな可能性を持つのが人間なのだ! 
我は我らの未来の可能性のために、貴殿の歴史はここで討たせて貰うぞ“魔王”アルナ・レゲンディーニ!」

 刹那、強烈な爆風がその場に吹き荒れた。



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