世界を創った魔王の記録。 | ナノ
 ■ 序章 2


 アルナの魔法とハウリークの剣技による戦いは一進一退、正に壮絶の一言に尽きる。長くも短くも感じる戦いは時間の感覚を失わせ、この時が永遠と続くような錯覚さえ覚える中、膠着状態を未だ打破出来る気配がない。
 じりじりと距離を測りつつアルナはどうやってこの均衡を崩そうか策を巡らせていた。いつどちらに転んでもおかしくはない状況。しかし今は保っている均衡もいつまでも保てるはずがない。体力の限界も近づいている。それでもなお、にい、と口角が上がってしまっているのはきっと無意識の内にこの命を懸けた戦いを楽しんでしまっているのだろう。
 どうしようもないな、とアルナは自分の性を呆れながら自嘲する。そしてそれは意外にも、ハウリークもアルナと同様にこの命を懸けた戦いを楽しんでいるようだった。

「なあ、楽しいな、魔王」

 お互い息切れした身体。それでも恍惚とした声で発せられた言葉には確かに隠し切れない楽しさが滲んでいた。しかしその姿にアルナはどうしてか拭いきれない違和感を覚えて、その後にゾッと嫌な想像が過り全身に悪寒が駆け巡る。
 アルナには一つの仮説が頭の中にあった。それが仮説のままで終わるなら別にいい。けれどそれが本当の事実だとするのならば、この違和感の正体の全部説明がつく。そしてそれが真実だとするならばこれほど救えない絶望はないだろう。杞憂であってほしい、けれど考えれば考えるほど辻褄が合いすぎて、もはやそれを否定することはアルナには出来なかった。聡明なアルナは、この違和感の正体を理解してしまったのだ。

「貴様、もしや……!」

 ふふ、とハウリークは上品に笑う。恍惚とした表情は変わらず、頬を染める姿は妙な色香すら感じるがアルナにとってそれは恐怖しか感じなかった。
 永い永い時を生きたアルナだからこそ分かった違和感。永い歴史の中で養った記憶は衰えることなく残っている。後世に生きる者たちのために抹消した禁忌の術だっていくつもあるのだ。もしもハウリークがその一つを何かの偶然で知ってしまったのだとしたら、そして実践してしまったのだとしたらこの勝負、恐らくアルナに勝ち目はないだろう。
 そして、嫌な予感というものは残酷にも当たってしまうものなのだ。

「流石だ魔王。――いや、アルナよ。貴殿の想像したことは大体合っているよ」

 本人からの肯定を得られてしまったらもう引き返せない。
 おかしいとは思っていた。力を持たないか弱き人間であるハウリークがアルナと膠着するほどの実力を持ったという真実にすぐに気づくべきだったのだ。気づかなかったことこそが、今回アルナの敗因であり間違いだった。
 動揺からか動きの鈍ったアルナの隙をハウリークが見逃すはずがなく、瞬時にアルナの懐まで入り込む。そしてアルナの顔に掌をかざして、ハウリークは微笑んだ。

「頭の良い貴殿なら、結末は分かるだろう?」

 直後、アルナに脳髄を直接揺さぶられるような激しい衝撃が襲った。そしてその後に少し遅れてやって来た鈍い痛み。けれどそれは剣で刺されるような鋭い痛みではなく、神経を直に焼かれるような強烈な痛みだ。けれどアルナはその痛みを身に染みるほど良く知っていた。

「――ッ! げほっ。はは、魔法、か。貴様、本当に身を堕としたのだな。普通の人間が、そこまで強力な魔法を練れるはずが、ない」

 ハウリークが放った魔法で吹っ飛ばされたアルナは痛みに強がりながら言った。
 魔法によって、アルナは致命傷とまではいかないが戦うにはもう動けないまでの傷を負っている。げほげほ、と大きく吐かれた咳には真っ赤な血が滲んでいた。
 ハウリークはアルナのそのボロボロな姿を嬉しそうに眺めながら、こつこつ、とゆっくりアルナの傍に近づいて聖剣を掲げる。その剣先はアルナの心臓に向かっていて、ああ、終わったな、とアルナは思いそっと目を閉じた。

「さよならだ、心優しき魔物よ」
「……来世で覚えてろよ、かつて人間だった悪魔め」

 ふふ、とハウリークは楽しそうに笑った後、アルナの心臓目掛けて聖剣を振り下ろした。
 とくとく、と動いていたアルナの心臓の音は小さくなり、次第に動かなくなっていく。聖剣で心臓を刺されたアルナはもう生きることは確実に叶わないだろう。みるみるうちに力の抜けていく身体に、アルナは小さく舌打ちした。
 いつの間にかハウリークの姿は忽然と消えている。まだアルナは辛うじて生きてはいるのだが最早死ぬことなど時間の問題だろう。放っておいても勝手に死ぬと判断したのかそれとも別の理由かは血を流し過ぎて意識がぼんやりしてきたアルナには判断がつかないが、ただもう死にゆくアルナには関係のないことだ。
 だが。しかし。最期に遺す後悔があるとするならば。同胞を、仲間を、部下を、そして友の意思を、

「結局、守れ、なかった、なあ……」

 この日、“魔王”アルナ・レゲンディーニは死んだ。
 これが伝説となる王同士の戦いの結末である。



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