赤色






 玄関開けて一秒、パッと目に入った赤。
「お前なぁ」
 奥から現れた男は、何食わぬ顔で「遅かったな」などと言った。色の少ない部屋で嫌に目立つものを、元からあったかのように扱う様子に気持ちの悪さが心臓をざらりと掠める。
「彼岸花は無いだろ」
 血のような色。一輪だけぽつりと置かれたそれは、元々花を愛でるタイプではないこの男の部屋にはどう考えても不釣り合いだ。しかし、「部屋燃えるぞ」だの「手が腐るぞ」だの言ってやっても聞く耳を持たず、とやかく言うのはやめた。そもそもこっちだってそんな迷信は信じていないのだから。
「それで」
 赤。花から声の主へと視線を移しても、部屋の中で異様に目立つその色がまた視界を占める。
「今日はしに来たのではないのか」

◇◆◇

 その生白い首に右手を掛けて強引にベッドに縫い付けても、庵は抵抗を見せない。顎を撫でられた猫を思わせるような恍惚とした表情の甘美さにゾクゾクした。二人にとって性交とは戦闘の、庵にとっては殺し合い、の延長であり、これもまた一種の戦いと言えた。組み敷くから優でも、組み敷かれるから劣でもない。二人の間には対等の力関係があり、たまたまこの形に落ち着いたに過ぎない。首を絞めるというよりもただ押さえつけているだけだった手に、今日は少しばかり体重を掛ける。琴月・陰、と頭の中でぼんやり思ったが振り払った。戦闘でこの技を使われる度に性的興奮を呼び起こされても困る。首を押さえつける右手の中で爆発したのは蒼炎ではなく熱っぽい空気で、苦しげに細まった目元は朱色に近付く。空気を求める口が何度か小さく開閉して震え、それでも身体は頭とは別の回路で動いているかのごとく脱力している。その不気味さすら呼ぶような光景でなお気分が高まるのだから、もうどちらもおかしいのだと悟っていた。
「ッ……、」
 漸く解放された白い喉は勢い良く流れ込む空気に震える。カヒュ、と細い音が鳴った。苦しげな呼吸を繰り返すその口元は、それでも三日月型に歪んでいる。二人揃って、ラブ・ロマンスに描かれる在り来りな恋愛というものを知らない。否、知っているはずだ。少なくとも、京は。庵のことは知らない。だがそれはこの二人の間には決して有り得ない空気であった。互いに命を削り合うような、傷付け合うような剃刀に似た空気が、それでいて根底に流れる不変が必要だった。当事者以外不可侵の、二人の運命が必要だった。愛だの恋だの、そういった言葉では表せない二人だけの空気が。だから何もおかしいことはないのだ。

 額に唇を落とし、その長い赤を梳いて流す。現れたもう一つの灰青は、歓喜に蕩けているように見えた。流れるように目尻の涙にも唇を寄せると、睫毛が震えて灰青が隠れてゆく。顔を離しても庵は瞳を閉じたままで、キス一つにわざわざ心臓を高鳴らせる生娘のような表情にまたずくりと背筋を撫ぜられた。唇を食むと、簡単に結び目が解けて吐息が混ざり合う。歯列をなぞれば身体がぴくりと跳ねて、やっぱり頭と身体は繋がってたな、などと冷静なのだか頭が働いていないのだかも分からない言葉が浮かんだ。

「ゥん……ッ」
 は、と詰めた息が吐かれる。シャツのボタンをゆっくりと外しながら胸に触れれば、熱っぽい瞳に射抜かれる。何度も身体を重ねてきて、今では胸だけで十分に感じるらしい庵は、シーツを足で掻いた。軽く爪を立てると堪えきれない甘い声が漏れ、その頬が一層赤らむ。
「は、ぁう……!」
「可愛い」
「……っ!」
 可愛い、と言うと決まって眉根を寄せるくせに、身体はふるりと震えるのだから口に出さずにはいられない。すかさずピンと主張する乳首を抓ってやれば、一際高い声で鳴いた。
「軽くイッた?」
「〜〜ッ!」
 目元がこれ以上無いほどに赤く染まるのが面白い。堪らず唇を落とせば、またぴくりと震えた。
「も、いい、きょぉ……はやくしろ」
 相変わらずぞくぞくする瞳で、熱が煽られる。
「んー、もうちょっとな」
 今度はその胸に唇を寄せる。庵の「あ、」と制止を求めようとする声と頭に伸ばされた手も無視して乳首を吸う。同時に、空いた片割れも丁寧に摘み上げてやった。
「ぅあぁッ……!!」
 今度こそ白い身体はびくびくと跳ね、喉が反った。制止のために伸ばされたはずの右手が頭を思い切り押さえ付けてくる。催促のようにも思えて甘噛みしてみると、「ぁう…!?」と小刻みに震えた。

 まだまだこれからだというのにぐったりと脱力した身体が扇情的だ。頭を撫でても嫌がる素振りを見せない。
「上手にイけたな?」
 流石に睨まれたが、熱を煽るばかりで全くの逆効果だ。何だか愛しくなって顔中に唇を落としていくと、鬱陶しそうに払い除けられてしまった。どちらかというとこれは本気ではなく照れで、余計愛しくなるだけだ。
 庵は胸でもかなり感じるようになってきてはいたが、それだけでイけるとは新たな収穫だった。無防備な股座に膝頭を押し付けてみれば、ぐちゅりという音と共に庵が震えた。
「くっ……」
 睨んでも無駄だっていうのに。一度達した身体は、何度か動かしていくうちにすぐ陥落してしまう。必死に縋り付いて荒い息を吐き、襲い来る快楽を耐えている。内腿が震えるのが良く分かって楽しくなった。
「きょお……!も、はやく……」
 蕩けた瞳は更なる快感を求めていた。今度こそ貴重なお願いを聞いてやり、そのズボンをゆっくりと引き抜いた。先程達した際の白濁を利用して奥の窄まりを開いていく。庵はしっかり背中に腕を回しており、されるがままだった。指がいい所を掠める度に毎度ご丁寧に高みに到達しそうになる身体を虐めて楽しんでいるうちに、すっかり入口は開ききり、準備が整った。
「ほら、挿れるぞ」
「ン、はやく……」
 入口に宛がうと、背中にキュッと爪が立てられた。ゆっくり縁をなぞってから、そのまま一息に奥を穿つ。
「あぐぅうッ!?」
 組み敷いた身体が大きく震え、背中にギリギリと痛みが走る。
「は、ぁッ、あ……!」
 奥を突く度にキツく締められ、ぴったりと吸い付く内壁の柔らかさを堪能しながら律動を繰り返す。
「ぁ、きょお、きょぉッ……!」
「ン、いおり……」
 互いに高みに辿り着くと、どちらともなく唇を合わせた。

◇◆◇

「この髪ってさ」
 こちらに背を向けている庵の髪を遠慮なく梳く。
「綺麗に染めてるよなぁ」
 根元まで一様に真っ赤で、いっそ不気味でもあった。
「……染めてはいない。地毛だ」
 今までされるがままに髪を梳かれていた庵が漸く言葉を発したと思ったら、これだ。流石におかしくなって「お前も冗談とか言うんだな」と笑えば、庵はごろりとこちらを向いた。至極真面目な表情で。
「冗談ではない。勝手に赤くなった」
「……勝手に、って。そんなことあるかよ」
 庵は自らその赤を透かすように摘み上げた。
「昔は、少し明るい茶色程度だったはずだ。それが段々と赤みを帯びていった。それだけだ」
「そ、れだけって……」
「両親も流石に気味悪がって一度勝手に染められたが無駄だった。すぐに赤くなるからな」
 さも当たり前かのような態度に、過去の彼の苦悩が見え隠れしてチクりと胸が痛む。それと同時に、記憶の隅に茶髪の子どもが映った気がして、そちらに意識を飛ばした。それって、その影って、もしかして……。必死に追った小さな記憶の影は虚しくもひらりと消えてしまい、結局思い出すことはできなかった。消えてしまったその子どもにしてやれないかわりに、目の前の赤をもう一度、丁寧に指に絡めると、ふと庵が笑った。
「貴様は、優しいのだな」

◇◆◇

「『思うはあなた一人』、『再会を楽しみに』……か」
 庵の声はカーテンの締め切られたがらんどうの部屋に落ち、赤の花片はひとつひとつ床に散らばってゆく。フローリングが裸足に冷たい。
「何より……貴様と共に歩む未来など、『諦め』ている……」
 絶対的な不変が根底に流れ続ける二人が、その隔たりを越えて手を取ることなど無い。それでも、既に不変は揺らぎ、奴の体温を知ってしまっている。おかしなこともあるものだ。庵はそっと瞳を閉じた。もう花片は全て廊下から寝室までの床一面に散ってしまっていた。この花片と共に不変も散ってゆけばいいのにと、願ってしまうのは罪だろうか。もう一度ベッドに身を沈める。朝日は既に照っていたが、まだ起きる気にはなれなかった。


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