勾玉を失った庵別バージョン。いつかこの気持ちが落ち着く日は来るのだろうか?
「夏の日」「気怠い朝」と合わせてpixivに載せました






「ン…」
 カーテンの隙間から入る陽光。庵は見慣れた、しかし少し埃っぽい部屋で目を覚ました。倦怠感に唸り、身を捩ったところではたと気付く。
「ッ京…!」
「目ェ醒めたかよ」
 他人の部屋で呑気に大あくびをしてみせた京は、庵の明らかな警戒をものともしない。
「ずっと寝てるから死ぬのかと思ったぜ」
「………」
 眠りすぎたのか頭がぼんやりとする。京からも闘志を感じられず、身体から力が抜けた。
「…どういう状況だ…」
「どうって…」
 京の視線が庵からついと離れて、何も無い壁を見つめる。
「お前、暴走して俺を殺しかけただろ」
 壁から視線を戻さず、それから…と静かな表情で続けた。
「お前は勾玉を取られた。そのまま昏睡状態だったんだぞ」
 あぁ、と掠れた声ががらんどうの部屋にぽつりと転がり落ちる。
「そうか」
「オメーな、そりゃないだろ」
 おかげでこんななのに、と見せ付けられた包帯だらけの身体を見ても、やはり「そうか」以外に出てくる言葉は無い。八神庵が欲するのは、万全な状態の草薙京のみである。簡単に息の根を止められそうな京には興味を持てなかった。
「病院で大人しくしていればいいものを」
「馬鹿言え」
 京の口許に笑みが浮かんだ。
「病院は嫌いなんだよ」

◇◆◇

 結局京は庵の部屋を出て行くこともせず、だらだらと居座り続けた。初めは暴走後の倦怠感から追い出す気も起きず、調子が戻ってからも面倒になってしまいそのまま放置している。京は追い出されないことをいい事に、あれよあれよという間に私物を増やしていった。庵は物が増える度に溜息を吐くものの、京を放置する態度は変えなかった。
ごちそうさん、と合わせられた手。その前に置かれた皿には骨のみを残した魚が乗っている。相変わらず魚を食べるのが上手い奴だ、と真白い骨を見つめた。
「やっぱお前も魚食べたかったとか?」
「…は?」
「違うか」
 京が食器を重ねて立ち上がる。「やっぱお前の考えてること全然分かんねぇな」という声を背中に受け、残り一切れの肉を口に運んだ。
「…分からんのは貴様の方だ」
 胸中の何とも形容し難いものを自覚しながら、その正体を暴くことを恐れている。庵の呟きは京には届かず、半分空いた机の上に落ちていった。

◇◆◇

 食後に風呂に入り、浴室から出るなりポタリと床に落ちた雫を目で追うと、風邪引くぞ、と頭にタオルを被せられる。庵は抵抗するでもなく、瞼をそっと閉じた。優しい手つきとは言えないが、嫌いではないとも思っていた。少し前までの自分ならどう思っただろうか。絶対に受け入れないに決まっている。庵の思考はぼんやりと離れていった。勾玉を失った身体は、以前のように強く「草薙京の死」を望んではくれない。彼と拳を交える喜びは、きっと八神庵という人間が抱えている感情だ。そしてその男の死を望むのは−−−
「ほら、終わり」
 頭上から暫くぶりに降ってくる声。赤から離れてゆく京の手を、思わず掴んでいた。
「…どうした?」
「…いや…」
 離れ難く感じた。憎き、殺すべき男の手の温もりを?…もう何も分からなかった。そっと離した手は、優しく頭に乗せられる。
「変な奴」
 不快に思わない。おかしい。勾玉を失って、己が己でないような奇妙な感覚がずっと付き纏っていた。

◇◆◇

「京」
「うん?」
「俺は…」
 明かりが消され、カーテンに遮られて月明かりすら入らない室内。庵の目は天井を見つめたままで京を見ない。
「俺は、おかしくなってしまったのかもしれない」
 流石にベッドまでは増やせず、男二人で身を寄せ合う状態。それでも、庵の呟きは宙に消えていくように小さく聞こえた。
「“いおり”」
「…やめろ、」
「大丈夫」
 京の手が庵の頬に触れて、そっと互いの瞳が交わった。
「庵」
「…やめてくれ…」
 泣きそうに震えた声。その制止を無視して庵の頭を抱き寄せた。京の胸元にうずまって小さく震える身体が迷子の幼子かのように思えて、それでも甘い毒を送り込むのをやめない。
「庵…」
 もう制止の声も上がらない。優しく、優しく赤を撫でる。
「大丈夫…」
 庵は瞳を閉じた。再び静まり返った室内で、頭を撫でる手だけに集中する。どんどん思考が纏まらなくなっていく。己を見失うような奇妙な感覚が消えることは無く、それでも京という存在に呑まれていった。
(いつか…)
 やがて訪れた微睡みに身を任せる。
(いつか、心の整理ができる日は来るのだろうか)
 今はまだ、二人分の温もりを抱き締めて眠ることしかできない。


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