僕は図書室がすきだ。 この学校には図書室を管理する先生もいないし、委員会もない。 貯蔵してある本は高校生にはとても読めないようなむずかしいものばかりで、生徒のためというよりは先生だとか、物好きなひとのための資料室のようなものだとおもう。 だからここにはいつも誰もいなくて、閑散としている。 すこし埃っぽく、紙やインクの独特なにおいが立ち込めていて、それがなんだか妙に落ち着く。 僕にとってはすごく寝やすいところだった。 放課後、いつものように僕は図書室に向かう。 みんなとおなじ時間に下校すると道が混んでうんざりしてしまうので、ここで惰眠を貪ってから帰る。 日が沈みかけただれもいない道を、オレンジから濃紺にかわる空を見ながら歩くのがすきだ。 僕は他の教室よりもすこし重たい引き戸を開けた。 がらら、と音を立てて図書室の埃が舞った。 西日が差しこんできらきらとひかる。 図書室のいちばん奥にある机を目指して、僕はせまい本棚のあいだを歩いた。 本の背表紙のタイトルを目で追う。 今日はこの本にしよう。 目についた一冊の分厚い本を抜きとった。 こういうむずかしい本を睡眠導入剤に読む。 10ページもいかないうちに、その本は僕の枕になる。 本を抱えて歩みを進めれば、ひとの気配がした。 めずらしく、だれかいるんだろうか。 そろりと奥へいくと、そこにいたのはグリーン先生だった。 いつもはしていない眼鏡をかけて英語でタイトルが書いてある本に視線を落としている。 机には何冊もの英語の本が積み上げられていた。 僕は先生に声をかけようか逡巡して、やっぱりやめた。 すごく集中してるみたいだし邪魔したらわるいし。 引き返そうとして足を一歩引いたとき、僕はがすんと本棚を蹴ってしまった。 先生は驚いて視線をあげて、そこでやっと僕に気づいた。 「レッド、いたのか」 先生は本をぱたりと閉じて言った。 ああ、ごめんなさい。 そう思いながらくちには出さず、僕はうんと返事をした。 だれに対しても敬語がうまくつかえない僕は先生に対してもやっぱりそうで、だけどグリーン先生は気にせず僕と話してくれる。 あの日以来、普通にグリーン先生と話せるようになった。 たぶん先生として会う前にこのひとを見てしまっているから、へんに緊張してしまってたんだとおもう。 たぶん。 僕はそろそろと歩んで先生の正面に座った。 なんだか二者面談みたいで居心地がわるい。 先生とふたりきりになるなんて怒られるときぐらいしかない。 じっと身構えて見れば、先生はぶはっと噴きだした。 なに緊張してんだよ。 そう言って頭をぐしゃぐしゃ撫でられて、意外と距離がちかいことがわかった。 「先生はなにしてるの?」 「読書」 それはわかるよ。 先生の適当な返事に僕がむすっとして言えば、先生はわらって謝った。 「この学校の図書室さ、俺が読みたい本がいっぱいあるんだ。この本たち、なかなか読めないんだぜ」 そう言ってぽんぽんと積み重なった本を叩く。 ぜんぶ英語で僕にはとても読めそうにない。 「レッドはよく図書室にくるのか?」 「うん」 寝にくるんだけど、とは言わなかった。 「先生ってさ」 「ん?」 「目、わるいの?」 眼鏡のほそい銀色のフレームが反射してつめたくひかる。 いつも見ている先生とはちがうひとのような気がしてしまった。 「あー、まあな。日常生活に支障はないけど、本を読むときはこれがないと字がちいさくて読めねーんだ」 似合うだろ?とわらう先生に、僕は老眼だと言えば、うるせえと返された。 正直、よく似合ってるとおもう。 「先生はよくここにくるの?」 「いや、今日はじめて来た。そしたらお宝がいっぱいだもんなあ、もっと前から知ってればよかった」 「じゃあ毎日これば」 「そうするつもり」 どおりで図書室ではじめて会ったわけだ。 目の前の本や、まわりの本棚に視線を向ける先生の目は、こどもみたいにきらきらしている。 ……本、すきなのかな。 僕は、僕にはとても読めない本に興味がわいた。 先生はどんな本を読んでるんだろう。 あ、と先生が思いだしたように声をあげて、いたずらっこみたいな顔をする。 「再来週は期末テストだけど勉強してるか?」 「……え、」 そういやそうだった、気がする。 いつもまともに勉強をしない僕はテストの正確な日程を記憶にのこしていない。 僕の反応に先生はやっぱりなと言った。 ちゃんと勉強しろよ、学生の本分は勉強だからな。 勉強の話をだされてまた居心地のわるくなった僕は、あいまいな返事をして居座りなおす。 沈黙が流れた。 窓の外では部活動をしている生徒の声が響いている。 カキーン、とバッドでボールを打つ音がした。 「ああ、そうだ。おまえよくここにくるんだろ」 沈黙を破ったのは先生だ。 僕はうんと返事をする。 「じゃあここで勉強すればいいじゃん」 レッドはひとりじゃ勉強できねータイプだろ。 得意げにそう言われて、僕はごもっともですと返すしかなかった。 家に帰るとすぐに寝るかゲームをしてしまうし、学校ではこの様だし。 先生は、質問も受け付けます、とおどけて言った。 たしかに読書している、しかも先生が目の前にいれば僕だって勉強せざるを得ない。 しかもわからないところも聞けて一石二鳥だ。 「……おねがいします」 めんどくさくて勉強なんてしない僕にとって、けっこう大胆な選択だったとおもう。 一石二鳥という好条件、そして僕はこの状況に無意識にわくわくしていた。 先生はまたにやりとわらって、じゃあ放課後な、と言った。 茜色の夕日 |