(3)
山吹の執務室を後に、大部屋を抜け、ついでに修正を要する分を文官たちへと返す。書類を受け取る部下の中には何か言いたそうな面つきの者もいたけれど、務め以外の話題は上がらずに終わった。昔から都察院に所属する官吏にとっては、またか、といったところなのかもしれない。――――あの様子ではまた、謝御史のつがいが代わるのかも知れない、あり得ることだな―――実際、密やかに交わされる会話を行く先々で耳にしている。その横を特に何を言うでもなく俺が通り過ぎると、みな、気の毒げにしたり、ばつが悪そうな表情に変わったりする。
つがいの交代が意味するところはひとつだ。当事者であるはずが、他人事のようになってしまうのは、俺が花精だから、だろうか。
それとも。
定時の鐘は既に鳴ったあとだったので、帰宅できる者は帰るよう言い添えて退室をする。
廊下を進み、階をひとつ降ったあたりでほどなく名前を呼ばれた。敢えて気配を消さずにいたのだろう、いつ声を掛けてくるのかとこちらも待っていたのだ。
立ち止まって振り向いた俺に、万廻が並ぶ。巨躯の後ろに、煌々の姿はなかった。そのことを指摘すると、部屋に置いてきたのだ、という。
「爺さん相手に昔話で花を咲かせているよ。まったく、見た目は孫と祖父だが、実際は煌々が年上だから、話を聞いているとおかしな気分になる」
ぴんと立った耳の裏あたりを爪で掻き、呆れたように話すさまは、しかし、つがいに対する情の深さが見て取れた。首肯し、続きを促すとそこで彼は口を噤んでしまう。
単なる雑談では無いのだと、それで、分かってしまった。以前の、山吹精との遣り取りが思い出される。万廻もまた、話しづらい話題―――なのだろうか。
「…周霖のことか」
真っ先に考えた候補を挙げるも、牙を備えた大きな口を引き結んだまま、花護は黙っている。そうしてからようやく、
「ある意味では。だが、その前に謝罪をしようと思っていたのだ。あの部屋では言いづらかった。煌々の前だからな」
「煌々の…?」
「あいつが、節介を焼いたようだな。…済まなかった。本人から、話は聞いている」
机に穴を空けてしまったそうじゃないか、と山犬は心底済まなさそうに付け加えた。
…あのことか。俺はかぶりを振った。
「いや、別に大したことじゃない。俺だとて、頭に血が上ってやり返したのだし」
「大したことないわけあるか」と万廻。「ただでさえ、伎良は按配が悪いのだ。話をするにしても、機を見るべきだろう。煌々はこれ、と決めたら譲らない傾向があるからな。…徒に年を重ねているわけでもあるまいに」
数日前、俺は山吹精と諍い事を起こした。知っているのはお互いだけのはずだった。
原因は日増しに弱っていくこの体躯を案じ、煌々が提案をした内容にある。
『花喰人と比翼連理(ひよくれんり)を解くんだ』
仮に、このまま行き着くところまで行って、理力が尽きた俺が枯れて。柳の次代が生まれても、彼、もしくは彼女が選択するのは高確率でやはり謝周霖だ。今、このとき、周霖に嫁す花精は柳を於いていないから。柳もまた、樒や唐桃のように消費される生を続けていく―――「娶せの儀」でつがうということは、そういうことなのだ。
逆を返せば、周霖が他の種を娶る可能性は低い。彼が異なる種族の花精を得た理由は、つがった花たちをあまりに殺しすぎたからだろう、と友人の花精、雲英(うんえい)は言っていた。種族の命脈が細って滅びる寸前だったから逃げたんじゃないか、と。
ゆえに煌々は、花精の身でできる対抗手段を考えていた。
比翼連理、すなわち、”つがい”という関係性をやめてしまえば、俺の命は今少し先延ばしにできるかもしれない。そのためには執政に請うて、彼の剣鉈で契りを引き裂いてもらう必要がある。無論、よほどの状況でなければ執政がつるぎを振るうことはない。例えば花護が大罪を犯し、極刑を申しつけられたときや、事情あって官位を返さざるをえなくなったとき、人の王は強制的につがいを別つ。春の執政・鶯嵐(おうらん)は賢君の誉れ高い花護だから、俺の消耗具合と、これまで枯れてきた花精のことを示せば、きっと認めてくれるはずだ。煌々はそう、息巻いた。
確かに事が為されたら、俺は胎宮で身体を休めることができるし、娶る花精を失った周霖はおっつけ無役に陥るだろう。
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