(19)
「…うまくいかないな」
「…ッ、う…」
「…周霖?」
独り言に低く被さるように、唸り声がした。
思わずびく、と肩を震わせてしまう。
(「…恐怖じゃない」)
ただ、驚いただけだ。
周霖の衣に混じって放ってあった下穿きを穿き、官服を引き寄せて羽織る。毛羽だった繊維が直に膚を刺したが、俺は、明らかになった周霖の面貌に釘付けになっていた。
男は眉間に皺を深くし、歯を食いしばっている。金茶の髪が寝汗で額に絡みつき、彼の苦悶を際立たせた。薄い口脣が再び呻きを漏らすに至り、慌てて、ぼんやり浮かび上がる白い塊へと近付く。
「ぐ、…うっ…」
狭い臥榻の敷布に爪を立てるほど、周霖はひどく魘されていた。悪いことに、相変わらず目覚めのきざしはない。でくのぼうよろしく立ち竦み、そんな男を見下ろす。
よくない夢でも見ているのだろうか。
『因みに俺はこうやって起こしてるぜ』
ふいに山吹精が言っていた冗談が思い出されて、俺まで眉根を寄せてしまう。
(「ない」)
跨がって揺さぶり起こすなんて真似が可能なのは、煌々だからだ。俺がやっている姿など、それこそ想像もつかないし、…趣味が悪すぎる。
よって、鈍重な身体に鞭打ちながら寝台の縁へと膝を乗せる。きりきりと歯を軋ませる表情は辛そうで、―――そんな顔を見るのは初めてのことだったから、もう、躊躇いなんて欠片もなくなっていた。
早く起こしてやりたい。どんな夢を見ているのか、悪夢とは関わりなく苦しんでいるのか、どっちだっていいから。
屈み込んで、太い腕へ掌を当てるようにする。軽く叩きながら彼の名前を呼ばわろうとした口から、泡を混じらせながら血が溢れた。かふ、と咳き込むと、さらに勢いを増して赤く、赤く、流れていく。
―――周霖?
流石に、男は覚醒していた。
痛ましく溝を刻んでいた眉間の下、涅色の目が愕然と瞠られている。「馬鹿な」か、「なぜ」か、聞き取れなかったけれども、何か言ったようだった。
(「どうしたんだ?」)
尋ねたつもりが、俺の声はまたしても咳に取って代わった。
黒い染みが、色を失った男の頬に散る。ぱっと花が開いたように。すぐに一筋の痕になって、輪郭を縁取った。
汚してしまった―――拭おうと手を伸べたが、腕が上がらない。
急速に重くなった頭を、がくりと落としてしまう。
すると、己の腹からつるぎが生えていた。
「…ッ、あ…、かは…」
紺青の衣を貫いて、分厚い剣鉈が身体を突き刺している。
今や鐵(くろがね)は俺を支えていて、そのくさびを抱え込んで体躯はゆらゆらと揺れた。夕闇の温い風に揺れる、刑死者を思わせるざまだった。
見たことがある、から、憶えている。あれは、姶濱と、財城で。
春苑にも犯罪は存在するのだ。まさしく、飾窓の女が揶揄したように。
意図的でない限り、花精を殺すことは罪にはならない。だから、彼が幾度樒や唐桃を弔ったところで、それが為に罰されはしなかったのだ。
(「…これは、周霖の意思?」)
であるなら、二重の意味で「生きてはいけない」、と思った。
彼に必要とされていない自分。
ただ、屠られるだけのからだ。
下半身も、寝台に掛かる布も単一の色に変わっていく。
痛み、―――熱い。
よく、分からない。
目眦がひび割れて、なみだが流れる。
老いた花護を弔ったときと、異なる理由で、同じ温度で、
(どうして、…周霖。)
舌に鉄錆びた味がよみがえった。
口腔いっぱいに、氾濫する。
(にがい)
――――――次はきっと、雌がいい。
それから、もし叶うのなら、
彼が目覚めるまでは、傍にいるようにしよう。
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