(14)
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目が覚めて初めて、己が自失していたことを悟る。
花精の眠りは二つある。休息をとる、と定めて眠りにつく場合。それから、他の要因があって意識を失う場合と。俺たちは夢を見ないし、不眠とは無縁の生き物だ。必要なだけ睡眠を得られる、過ぎることもない。そのようにつくられている。
首筋がすっと冷たくなる感触に覚醒をした。
それで、意識を喪失していたのだ、と理解できた。起きていた時分の最後、眠ろうと思ってはいなかったから。四足の獣に似た体勢で背後からのしかかられ、虚ろに揺さぶられている内に自失していたようだ。
酔客らしい人々の歓声、袖引きの呼び込みも相変わらず外を賑やかしていた。閉じきった扉向こうでは廊下がぎいぎいと軋む。連れ込みの客か、宿の人間だろう。歓楽街にとって、夜の終わりはまだ遠く、先らしい。
薄暗い部屋の中、俯せの視界に一面の白色が拡がっている。
疲労感はひどく、身体は鉛のように重かったけれど、放り出していた五指は少しの遅滞を見せながらもぎこちなく動いた。
(「…大丈夫。まだ動ける」)
瞬きをすると、涙やらくだんの軟膏やらで張り付いていた目蓋がぺりぺりと開いていった。まるで膠で接着されていたかのようだ。喉も渇きを訴えている。
試しに声を出そうとしたら、喘鳴みたいなひゅう、という音がひとつ漏れたきり。水でも飲めば少しはまともになるだろう。
感覚を全身へ行き渡らせ、状態をあまさず確かめた。
理のちからは僅かながらだが回復しているようだ。ひとと交わるのは彼とが初めてだけれども、あれが暴虐な遣りようだとは流石に分かっている。過去の柳の記憶を遡るまでもない。
にも関わらず、花護と繋がることができた事実を体躯が喜んでいる。あさましい、と誹られれば、その通りなのかもしれない。
衰弱が進むにつれて、俺の意思を余所に、本能が彼との接触の機会をかき集めて理力に変換しているような気がする。そこに、感情だのこころだの、といったものはもう、期待できない―――待てないのだ。
素肌が触る敷布はどの部分も湿っぽく、否が応でも狂乱の時間を思い出させた。行為の最中、幾度も歯を立てられた首筋がつられるように痛みを新たにする。寝転がったまま、じくじくする箇所を指先で辿っていく。花紋を傷つけるように、噛まれた痕が刻まれている筈だ。
呼吸を整えながらゆっくり身体を起こせば、腰に、下半身に、と疼痛が伝播していく。脚のはざまから、とろりと伝い落ちる感触があった。何かと接触すれば敏感さを訴える癖に、そのものはあまりに使われすぎて麻痺してしまったような気がする。注ぎ込まれた精と融けた薬が混ざり合った粘液が、腿に垂れた。口脣を噛み、身震いをやり過ごす。
右隣に、薄い掛け物を被った男が眠っている。
金茶の鬣に覆われた広い背中はいつも通り、俺から表情を隠していた。
「……」
寝台に座り込んだ恰好で、つい、横たわる姿を眺めてしまう。ぼんやりと、馬鹿みたいに。
時折小さく唸り、頭や足の位置を動かすくらいで、周霖に起きる様子はなかった。
(「…呑みには行かなかったのか」)
焚琴路ならば、呑み明かすのには困らない。この宿は情宿で、一階は番台だけのようだが、外に出たら酒家があるし、店の者に言いつけて多めに手間賃を払えば酒とつまみくらい、用意してくれるだろう。
周霖は大抵、俺を置き去りに酒場へと足を運んだ。それは官舎でも、今夜のような抱かれ方をした時も同じだ。
近頃、特に景陵に戻ってきてからは世高の咎めがうるさい為か、あまり出歩かなくなってはいたけれど。彼にしてみれば格好の機会だったろうに、―――もしかしたら、謝からの使者の件、周霖なりに堪えているのかもしれないな。
焚琴路から登庁、なんて醜聞にしか成り得ないが、さりとて、起こすのは忍びない。いずれ勝手に目覚める可能性だってある、と、動き方を忘れたような身体を叱咤しつつ、臥榻から滑り降りた。胎の奥には未だぬかるんだ感触があったが、適当に拭っておいた。
少し考えたあと、長襦袢の上に、単衣を羽織って、帯を締める。幾ら明かりの弱いところとは言え、紺青の官服で歩き回るのはまずいだろう。それこそ自ら悪評を呼び込むようなものだ。
衣擦れの音に気を遣いつつ背後を振り返ったが、花護は変わらず、まどろみの裡にあった。
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