(7)
「へえ、こりゃ言うねえ。近頃は大人しいものだと思っていたが、花喰人の面目躍如だ」
「ハッ、お褒めのお言葉ありがとうよ」
攻撃的な気配を隠すでもなく御史が近付いてくるので自然、国房の背筋は凍り付いた。足音もなく進み出てきた影は男の横を通り抜け、過ぎていく。
良い意味でも悪い意味でも、周霖は自席をあたためる上司ではない。ゆえに、国房はこの「花喰人」と対峙した経験が、同僚の恬子に比べて非常に少ない。死角からもろに受けた殺気は身体から立ち上がる気力すら奪っていた。腰掛けに座っていてよかった。でなければ、無様に転がっていたところだ。
ふと、固い感触が指にあって、見下ろせば、知らず我が手は刀の柄を握り込んでいる。そうそう抜いたことのない剣鉈の柄だ。花護の本能がそうさせたのだろうか、二重にぞっとなる。
「まずお前自身の花精を使ったらどうだ。えぇ?文観様よ。人の連れを巻き添えにして、けちつけるとはまこと、いいご身分だな」
「生憎とうちのは建礼舎で授業の真っ最中だ」と文観は返した。ばっさり斬りつけてきかねない相手を振り向きすらしない。
「俺の代わりに学生どもの相手だ」
「この禄泥棒が」
聞いて、医士は呵々と嗤った。染みの浮いた肌に皺ができるほどに、口の端を裂いて。
「お前にだけは言われたかないやな、御史殿。どうだい。俺とお前さん、やっとることは大差ないよ。花喰人が御史の任をさぼって蟲を狩るように、藪医者は花精に頼んで趣味の研究。悪くないご時世じゃないか」
「…よほどに斬られたいとみえるな」
「ふん。この爺を斬れば今度こそ免官だぞ。図星なら大人しくしておれ。言うておくが、俺はお前さんの行いを責めたことはない。…花精の扱いの悪さには苦言を呈したいところだったが」
鼻を鳴らしたきり、再び緘黙へと戻った上司を恬子がそっと伺っている。文観相手では謝御史も分が悪いらしい。いつもは彼女が後先考えず噛みつく相手を、恩師がさっさと黙らせてしまったので、却って案じているのかもしれない。だとしたら、よくよくの苦労性だ。
白い前掛けに包まれた膝を床へつき、花精たちの脈を取る女の手を見るともなしに眺めながら国房は不思議な心持ちでいる。
緋鞘の眠りが浅いのか、それとも花精が気配に聡いのか、同じ部屋で寝起きしていても、つがいは己よりも後に寝て、先に起きている。一度たりとも順番が逆転したことはない。御陰で果たして本当に彼が睡眠を取っているのかと、疑ったことすらあるくらいだ。
ゆえに、彼の寝顔を見たのも初めてである。
柔らかくはない、むしろ人形じみた印象がさらに増している。無表情にちかい緋鞘の面を見つめながら、しかし、奇妙な満足感があった。してやったり感、という表現がむしろ正しいか。
「花精は、眠っているときの方が、回復力が高くなるんです」
「え…、あ、そうなのか」
「はい。だからこれだけの効果でも充分な価値がある」
恬子の声には興奮を抑えた様子がみえた。
教え子である所為なのか、花精同様、大した抵抗もなく文観に従っているように思える。指摘すると、気の強そうなきりりとした眉が、その尻を少しばかり下げた。
「学生の時分は、ほんとうに怖い老師だったんです」とこちらにやってきて、後ろを確認しいしい教えてくれる。
「…でも腕は確かなんです。それに、わたくしも花精の命には興味がある。…いえ、興味があるという言い方は適当じゃないですね。どんなに彼らが丈夫で、次が約束されているとしても、出来ることはしたいんです。全部」
「なるほどなあ…」
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