(5)



時間がまともに動き出すまで、国房は隣の緋鞘に詫びを入れることにした。沈黙が痛くもあった。

「この流れだと、お前もあそこに座って貰うことになるな…」

周霖と文観の交渉(と呼べるのかも怪しいが)が決裂したら別展開だが、上司を置き去りに部下が逃げるわけにはいかないだろう。そして国房の数少ない特技としても差し支えない凶兆察知能力は、最早どうにもならない、と囁きかけてくる。
うまく転んで脱出できても、予想通り、文観の餌食になったとしても、緋鞘の小言は免れ得ない気がする。ならば先に謝っておいた方が無難だろう。

「…そのようですね」

ようやく口を開いてくれたものの、出来の悪い生徒にするかのような、深い嘆息に申し訳なさが増す。

「いやもう、ごめん。悪かったとしか言いようがない」
「…私の知らない内に、これほど馬鹿げた真似をしていたとは存じ上げず」と緋鞘は忌々しげに言った。
「秋廼より便りがあったのは知っておりましたが、…てっきり別れた細君に、某かの相談事があったのかと思っておりました。特段、疑いもせなんだ己の迂闊さに恥じ入るばかり。まったく飛蝗蟲を欠片でも体に入れろなどと…あれらは、我々にとって不倶戴天の敵ですよ」

皐月精の言い分は確かに理解できる。自分だとて、例えば犬の糞を喰え、と言われたら断固お断りだ。別に犬は国房の仇敵ではないが、身体へ取り入れるものの嫌悪感は代わらぬだろう。相応の交換条件があったとしても拒否する。たとえ金一万出されても、

―――金一万積まれたら別か?

とにかく、巨大な飛蝗(ばった)の翅なるものが、どんな味かは不明だ。もしかしたら蝗(いなご)の佃煮みたいな味がするかもしれない。…意外といけるんじゃあ、と思ったが、食べるわけではなくて吸い込むのだった、と、はたとなる。
浮かんだ慰めを言葉にしようものなら、今度こそ本当に口をきいてくれなくなるのは明白だったので、仕方なく、心のままを言った。

「だけどさ、…これでもし、お前が長生き出来るんだったら、それもいいんじゃないかって思うんだよ。ほんとう言うと」

古今東西、「個」の花精に拘ることは花護にとって災いであるという。虜になった花護は職務を疎かにし、人間のめおとにおいては不和を呼び込む。
だが、そんなことは黄ばんだ教本の、お題目のようなものだ、と国房自身は考えている。ならば何故、「つがい」などという言葉で彼らを遇するのか。自ずから生まれた想いなのか、秋廼育ちが理由なのか不明だったけれど、それが正直な気持ちだった。

「……」
「…緋鞘?」
「…然様か」

そう、怜悧な美貌は呟いた。まるで独り言のような声音で。

彼があまりにも気の抜けた風情だったので、体も動作も、性格ですら鈍い、と言われ続けて幾星霜の国房も流石に面食らった。
今の緋鞘は脱力しているとするよりも、途方に呉れているとした方が近いようだ。いよいよ抜き差しならなくなってきて、思考が定まらなくなってしまったのだろうか。
花精の治療術に協力したい心はあるが、済まなくも、己がつがいを潰してまで叶えたいとも思えない。
緋鞘が忘我するほどに厭なのであれば、ひとつ後ろの窓から逃げだせないか試してみるか。今更の助け船を出そうとしたとき、濃紺の衣を纏ったつがいは既に歩みを進めていた。

「お、そっちも話がついたみてえだな。重畳、重畳」

嬉しそうな声を上げる医士に、緋鞘はちらりと一瞥をくれた。それだけだった。
見れば、あの怒り狂っていた周霖は取りあえず矛を収めたようで、窓辺に身を凭せ掛けて伎良を眺めていた。柳の方は隣の満天星とぽつぽつとおしゃべりをしている。あまりの穏やかな様子に、こちらが騒ぎ過ぎかとも思ってしまう。

躊躇いのない歩みで長椅子まで来ると、赤毛の花精は腰掛ける仲間たちを見下ろした。

「隣、…宜しいか」
「ああ」
「失礼する」

伎良の返事に、皐月は肯う。
稀に見た彼の素直さに、申し訳なさをおぼえたのはなぜだろうか。




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