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弾むような明るい返事をした満天星、恬子のつがいの夕筒(ゆうづつ)は軽やかな足取りでもって椅子へと向かった。十代半ばの少年の姿をした花精は、とん、とん、と数歩飛んで、膨らんだ座面に腰を下ろすと、前掛けの帯を締め直している恬子と目線を交わし、淡く微笑む。恐ろしいくらいの衒いもなさに、おい、いいのか、ともう少しで言いそうになった。

「……」
「おい、伎良。お前ほんとうに付き合うのか」
「大丈夫…だろう、多分」

獅子とも喩えられる花護が、心なしか不安げな様子で連れの名を呼んでいる。対する伎良は、少しばかり迷った様子を見せたけれども、最終的にはやはりと言うべきか、医士の命令に従った。渋ったものの、つがいの反応は御史も予想の範疇だったらしく、小さく唸っただけで阻む様子がない。
互いの身が離れる際に、大きさの異なる手がふたつ、するり、と絡んだのが見えた。人目がなければ接吻でもしかねないあまやかな雰囲気に、国房は行儀良く視線を逃した。

「ほい、じゃあ最後はお前んとこだ。国房」

花精が二人、きちんと腰掛けたのを確認して、文観がこちらを振り返る。
首を捻ったその姿が悪魔の横顔に思えて、思わず唾を飲み込んでしまった。いや、単に人相が悪いだけなのだ。顔の作りは本人の意思でどうにかなるものでもないし、そも、己だって人の面相にけちをつけられるほど上等なもんかよ、と自嘲する。
手放しで善良とは言い難いが、都察院にとっては所属の花精を救ってくれた恩人だ。

どうするべきか。

迷って、傍らの緋鞘に目をやった。彼は白皙を前に向けたまま、押し黙っている。行け、と指示されれば否やもなく座るだろう。それを命令だとするのなら。
国房たちにあまり納得した様子がないのを見て取ったのか、文観は宥めるような口調で言った。

「花精に効く薬は限られているからな。これが果たして実用性のあるものかは、わからん。だが試してみる価値はあるだろ」

言い分は、分からなくもない。
国房もかつて、つがいの花精を弔った経験がある。幾ら次代が立つとはいえ、人一人が死ぬのと大差ない辛さだ。

「…そういや聞き損じたが。…後に遺ったりはしねえんだろうな」と、唐突に周霖が割って入った。「もしそんなことになったら、てめえの首を建礼舎の前に吊すぞ」
「…!」

腰に佩いた剣鉈の柄に肘を乗せ、睨め付けてくる視線はそれこそ、白刃そのものだ。まるで己が脅されているような錯覚をおぼえ、国房はぶるぶると震え上がった。衣袍の中で膝が大笑いしている。責任も義理も選択も忘れ、このまま明日に向かって遁走したい。
一方で言われた当の本人は、全く気にも留めた様子もなく肩を竦めている。三白眼を細めて、にやつく余裕すら見せた。

「恩を仇で返すを地でいく物言いだな。俺がいなかったらお前さんの可愛い伎良は今頃お空のお星様だぜ。…いいや、花精であれば星どころか庭の土が精々か」

空気が、凍り付く。
腰掛けている伎良の顎がついと上がった。
思慮深いみどりの目は、ひたすらに己のつがいへ注がれている。剣鉈が抜かれる瞬間を見逃さぬのだと言うかのように。

「言ったな」

男っぽい美形が凶悪な形相に歪んでいく。古きに曰くの、修羅という存在は、おそらくこんな顔をしているのだろうと思った。

「結果の如何の前に首刎ねられてえみたいだな。あァ?」
「周霖、やめろ」と、それでも立ち上がることはせずに伎良が言う。「相手は文観さまだぞ」
「文観だろうが、鶯嵐(おうらん)だろうが知ったこっちゃねえよ。まともに種を明かさないまま人の花精をいいように使いやがって」
「…そんな、おかしなことにはならないと思う」

困惑顔の柳花精に、花護はがなる。裾をばっと翻して腰掛けたつがいの前まで来ると、大きな手のひらが華奢な肩に掛かった。

「大体、お前もほいほい言うこと聞きすぎだし、信用しすぎだ、伎良!弱みでも握られてんのか?」
「俺の弱みはお前だろう」
「は」
「ほかに何が」

わずかに眉尻を下げたまま、淡々と言ってのけた花精に、男は黙り込んだ。
伎良の正面、すなわち長椅子の手前に立っているので、御史の表情はもはや、柳と満天星しか分からない。伎良は相変わらずつがいを見上げているままだし、夕筒はどこか笑いを押し殺したような風情で大人しくしている。つまり、ほぼいつも通りだ。

国房は広い背中を、凝視した。周霖はその場に縫い止められてしまったかのようにまったく動かない。
修羅だか羅刹だが、とにかく、花精たちを恐怖させ、百官の心胆を寒からしめるという男が目下、さりげなく(しかし確実に)捧げられた思慕に如何な反応をみせているのか。
知りたいが、知りたくない。知ったら生きてこの部屋から帰れないような気がする。

…そして、文観が「よし、よくやった」とつぶやいたのが聞こえたような。




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