つがいたち



呼び出された先が御史の執務室であったので、皐月の国房(くにふさ)は少なからず驚いた。てっきり建礼舎(けんれいしゃ)かと思っていたのだ。

「文観(ぶんかん)さま、でしたね」

淡々とした口調でその男の名を呼んだつがいへ、頷いてみせる。あるじの首肯を受けて花精の緋鞘(ひざや)もまた、訝しげに眉根を寄せる。

「…何故、また周霖(しゅうりん)さまの執務室に来いと。ご用は貴方にでしょうに」
「そうさなあ」と国房はあまり気のない相槌を打つ。「まあ、俺としては近くていいよ。仕事部屋からすぐだし、迷うこともない。楽にこしたことはないじゃないか」
「国房さま」緋鞘の声音に険がにじんだ。「そのような無精なお考えは如何なものか」
「あー…」

不精者で済みませんでしたね、と悪態をつきかけ、やめた。鮮やかな紅紫の双眸に非難の光が宿っていたからだ。
生憎と自分は勤勉な性質ではない。出世志向のなさをかつての妻に咎められたことだとて、数え切れないほどである。自分にも他人にも厳しかった妻女とは紆余曲折の末に離縁をしたが、その原因たる相手に似たようなことを言われているこの皮肉。
やるせない現実に溜息を吐くと、お返しとばかりに咳払いをされたので慌てて呑み込んだ。喧嘩は苦手だし、何より、勝ち目が無いと分かっている諍い事に、首を突っ込む度胸の持ち合わせもやはりない。


「失礼いたします。国房です」

拳で数度、扉を叩くと果たして「おう、入れ」と嗄れた応答が返ってきた。緋鞘と顔を見合わせる。明らか、部屋のあるじの声ではない。

「…どうも、遅れましたか…」

おそるおそる中を覗き込むと一斉に視線を浴びせかけられる。つい後退って、背後に立っていた長身に勢いよく衝突してしまった。

「うおっ!」
「痛い…の、ですが…。国房さま」

早く足を退けて頂きたい、と唸り声。これまた慌てて裾を捌き、足をどかしてやる。すると部屋の中からくすくすと笑いが上がった。

「…ごめんなさい、つい…」
「これは、…恬子(てんこ)殿?」
「はい、国房殿」と若い女は礼をとった。「先ほどぶりです」

年は大分下であるものの、都察院勤続の長さからすれば先輩、位の上では同僚である娘が、彼女のつがいを隣に従えて立っている。満天星(どうだんつつじ)の少年もまた、緋鞘を見て口脣をほころばせた。横に並んだ皐月の精が目礼を交わすのを視界の端におさめ、国房はひとり呆気に取られていた。高官の座所とは思えない簡素な内装の執務室に、他にも予想外の顔ぶれが揃っていたためである。

「来たな原因」
「は…、え…?」

部屋のあるじがここに居るのは不自然のないことなのだが、どうしてもたじろいでしまう。顎を引き、腕を組んだ居丈高なさまで見下ろされると、苦手意識が無くとも身が竦む。彼に威圧されて平然と出来る者など、彼自身のつがいを除けば後は数名しか思い当たらない。
不機嫌も露わに睨み付けてきたのは上司である謝御史だ。
男は、柳の花護である。にも関わらず、彼が自身に宛がわれたこの部屋で大人しくしているのは、それなりの珍事だった。平生は剣鉈を片手に、もう一方には己のつがいの手を取って東奔西走、謝周霖の上司も部下も、彼の行く先を血眼で捜す。不本意ながら国房もその面子のひとりである。以前に比べれば落ち着いたらしいが、正直、どこが、と問いたい。

「勝手に人の部屋を待ち合わせに使うにとどまらず、足止めまでするたぁいい度胸じゃねえか」
「ええっ」
「周霖。脅すな。国房が困っている」

御史と揃いの、深い紺地の深衣を纏った青年がするり、と花護の影からあらわれた。
窘められた周霖はばつが悪そうに襟元を引っ張るなどしている。らしからぬ子どもじみた仕草に、国房はぎょっとなった。一方の周霖は見上げてくるみどりの瞳に言い訳を垂れはじめた。

「…わかってる」

癖の強い髪をぐしゃぐしゃと掻くなり、改めてこちらを睨み付けてくる。怖い。

「だがな、こいつらの所為でオレは出掛けを邪魔されたんだ。おい国房、お前…おぼえておけよ…」
「え、…あの、申し訳ありません、御史。お恥ずかしながら状況が今ひとつ掴めぬのですが…。いやなんかもうほんと理解して居れば平身低頭、誠心誠意お詫びさせていただきたく」
「だからなあ!」
「…周霖…」
「…ったく、わかったよ」

巨躯の、その青い衣の袖をひく花精と目があった。彼は赦しを乞うようにゆっくりと瞬きをする。柳の花精、伎良(ぎりょう)である。
他の花精に比べると愛想もなく、取り立てて器量が良いわけでもない。花精というよりも、市井の若者に見える地味な容貌だ。瞳の色と、首に嵌められた銀の輪のみがかろうじて彼の素性を示している。春に芽吹く、新緑を籠めたようなうつくしいみどりは、伎良の唯一にして最も印象に残る特徴であろう。
花精の容姿にあわせたわけでもないだろうに、当代の柳の能力は凡庸につきるそうだ。いつかの「娶せの儀(めあわせのぎ)」、国房がまだ翰林院に所属していた頃に教えられたことを思い出す―――永くは生きられまいと呟いたのは他ならぬ自分のつがいだった。

幸か不幸か(国房は幸せなことだと思いたいが)、緋鞘の予言は外れ、そして大勢の予想をも裏切り、周霖は未だ、柳の花護のままだ。
官吏たちの噂話が耳によみがえる。果たしてこの世に、あの悪評高い「花喰人(はなくいびと)」の相手を、勤められる花精が居たのか、と。



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