(10)
この黒巻髪の人物こそ、周霖、恬子、それから国房自身の上司であり都察院左房を束ねる御史大夫、牡丹の花護・世高である。
謝家と繋がりのある煬家―――春苑第二位の上流階級の出で、執政・鶯嵐(おうらん)からの信頼篤い高官のひとりだ。花護としての力も強く、つがいである牡丹の花精、阿僧祇は春苑において五本の指に入るほどの理力を有しているという。
唯一と言ってもいい難は、「彼」自身の性。
かつて煬家でお家騒動が起きた時、世高の一族は政敵に急襲され、皆殺しの憂き目にあった。幼い世高も捕らえられたが、母の嘆願が聞き入れられ、命までもは取られなかったものの、腐刑(ふけい)に処せられた。
腐刑―――即ち、男根を切除する、死刑に次ぐ過酷刑は、春の庭では表向き、禁じられている。けれど、あくまで紺旗の内々で行われたことで、その処分に庭府の関わりはなく、世高の親兄弟は「彼」の前で次々に首を狩られた。「彼」の助命を願った母親もまた、その中に含まれていた。
後に謝家が出張って事を収め、紺旗の内乱は終結した。世高は筆頭である謝に引き取られることになり、故に周霖がどれほど騒ぎを起こしても本家に恩義のある世高は庇うのだ、と人々は噂する。
そして、腐刑を損じた結果か、はたまた元よりそのようなことは行われなかったのか。どう見ても男として成長を続けた「彼」が女のように振る舞うのは、母を悼む衷情故なのだと。あからさまに性を偽る世高を、けれど、執政は咎め立てることはなかった。
『政をするのに必要なのは、男か女の別ではない。有能か、無能であるか、…それだけだよ』
朝議の間で、百官を前にしてそう宣言した鶯嵐を、世高は艶然と微笑みながら見上げていたそうだ。
すべて、国房が春苑にやって来る、遙か昔の話である。
早く計測とやらに戻りたいのか、要点に絞って語られる文観の説明に、世高は聞き入っているようだ。
立つことを赦され、緊張に震える膝を叱咤しながら背を伸ばすと、隣の医女もふらふら腰を上げた。
「…まさか煬大夫とは思いませんでした…」
呻くように言う彼女を、肩を叩いて労う。
「俺も危うく腰が抜けるところだった…。相変わらずの迫力だな…」
「なあにぃ?国房ちゃん」
「いえいえいえいえ、な、なんでもございません煬大夫!」
あらそうお、と守護する花の印象そのままに花咲く笑顔を見せられて、息が詰まる。
美しいけれど、やはり威圧感が勝る。男らしさの残る美形が隙無く化粧を施すと、このような顔になるのか、としみじみと思った。きわどい色気というのか、好みは確実に分かれようが、国房の頬は勝手に熱くなり出した。つい掌で擦る。普段であればつがいの容赦ない皮肉が飛ぶところだ。寝ていてくれて、本当に良かった。
都察院の長である大夫に接する機会など、御史の周霖ならばともかく、平の自分はまずない。壇の下から仰ぎ見るのが精々だ。直接言葉を交わしたのも、赴任の挨拶以来だったような気がする。
(「…こんな下っ端の名を覚えて下さっているのか」)
なるほど、執政が引き立てるだけの人物なのかもしれぬ、と思う。
[*前] | [次#]
◇PN一覧
◇main