烏と鳩(1)
【斗与】
午後の授業を費やして開催された立会演説会は、若干の波乱を起こしつつも終了した。生活指導部の先生も、選管の連中も、まことにお疲れ様としか言いようがない。あの小柄な委員長なぞ、途中で完全に混乱していたからな。お労しい。
出口に近いところから、皆、散開して教室へ帰っている。女子もそうだが、特進科の連中のはしゃぎ振りと言ったら無かった。上級生も、俺と同じ1年生も未だ興奮冷めやらぬと言った態だ。生徒のケツにくっついて歩く先生たちは何処か諦念に充ち満ちた顔をしている。加熱ぶりにただ脱力しているようにも、予測していた災禍をもろに喰らった顔のようにも思える。大人は色々複雑だ。
「山ノ井、戻ってたんだな」
「オレ知らなかったぜ。あれ1年だよなあ!」
「後で行ってみよっかな、お前何組か知ってる?」
「知るわけないだろ。さっき顔見たんだから。……あれ、山ノ井が来てるってことはさ…」
離れていても聞こえるくだんの名前に耳を欹てていたら、ユキが小さく「ふうん」と言った。
「テンション高いね、特進科」
「なあ。どんだけ人気なんだっつうの」
前方真ん中の席は脱出するのも大抵最後だ。仕方なしにのんびりと座って、人の波が切れるのを待った。
「……あれ、…新蒔どこいった」
「あれ?」
今気付いた、という風にユキはオレの隣を覗き込んだ。臙脂色のしっかりとしたクッションと背もたれが実によく見える。すっからかんである。
周りを見回してみても、それっぽい姿はない。見目先輩について機関銃のように語る日置、相槌を打つ領戒、こっそり持ち込んだ携帯を弄くっている相合、その他のクラスメイトが俺たちと同じように大人しく座っているだけだ。
新蒔大輔、音もなく消失。超常現象でなければ自力で何処かへ移動した筈だ。平生は騒がしい癖に、忍者かあいつは。
「どっか行ったみたいだね」とユキ。自明ではあったが、どうでも良さそうだ。
「…あいつ、この後ホームルームがあるってこと忘れてるんじゃないの」
「そうかもねえ」
どうしたものか。ホームルームもフケたら立派な早退だよな。
遅刻常習犯な新蒔ではあるが、早退や欠席は意外や意外、ゼロなのである。俺だってこの前の匂坂事件が初欠席だった。あれはまったく不本意であった。
まだそこらへんに居たら連れ戻した方がいいんじゃないの。俺がそう言うと、ユキはあからさまに不機嫌になった。えええ、と言いながら色素の薄い髪をひっつめるように、ぎゅっと押しやったり、放したりしている。
「わぁが人生にゃ責任ば持たにゃつまらんど、ってばあちゃんが言ってた」
「そういう道徳的な話をしてるわけじゃない。…ちょっと立って、捜すだけでいいから」
長身のユキならこの人混みの中でも見つけきるかもしれない。まあ、いつの時点であいつが席を立ったかによるのだが。
俺もなんだかんだであの山ノ井って男と、見目先輩の話以降は結構集中して聞いていたからな。新蒔の不在にも全然気がつかなかったのだ。
執行部の立候補者は十人くらい居たけれど、インパクト賞は間違いなく見目&山ノ井ペアだ。ぶっちぎりの優勝である。一方の事務局と呼ばれる、補佐組織の連中は1年が混ざっていることもあって、皆、割と似たような感じだった。
普通科に票を入れたくても、特進科の立候補者の方が内容良かったら、そっちに入れるとは思う。でも、もし、見目先輩が当選したら普通科の奴が多い方が遣りやすかったりするのだろうか。あのひとに限っては、あまりそういうこと無さそうなんだけれどな。
ユキは渋々と立ち上がって、集中する視線を気に留めた風もなく、辺りを見渡した。余所のクラスの奴が「でけえ」と、思わず、の感で言っている。
「あ、」
「お?」
見つけたか?発見したら、即確保だ。サーチアンドデストロイ、って撃破しちゃ駄目か。それに言ったら嬉々として遣りかねないからな、ユキの奴。
こちらを見下ろす幼馴染みの表情は、予想に反して柔らかい。と、いうことは、だ。
「…黒澤君、こっちに来る」
――――ほらやっぱり、新蒔じゃねえし。
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