(7)



やつは姿勢を起こし、俺の正面に立つと衣と首輪を抱えていない方の手をすい、と上げた。頬の輪郭を撫でられて全身が総毛立つ。反射的に後退ったが、男がそれを赦すはずもなかった。背中に手のひら。抱き寄せられて、俺は手を突っ張る。衣袍越しにも分かる固い胸の感触に、さらにぞっとなった。膂力の違いを暗に思い知らされる気分になるのだ。

「迦眩は俺の花精だ」
「…っ、」

ちがう。そうだ、けれど、―――違う。

「―――てめえは、花精が嫌いなんだろ。だったら、なんで!」

ずっと疑問に感じていたことを勢い口にしてしまう。
するとやつは鬼の首を取ったように言った。迦眩自身が己を花精だと定めたからだ、と。

「花であるなら、護り人として正しく遇するべきだ。誓いをなし、首輪を与える。当然のことだ」
「誓い、…なんて」

出来るわけない。娶嫁(しゅか)の誓いは百花王の前ですべきだと習った。
けれども、どの立場に転んだとしても、未来永劫、朱夏宮行きの赦しを俺が得ることはない。そんなこと、好き放題に組み伏せたこいつは、十二分に知っている癖に。

「…それでも、とお前は言うのだろう」

まるで、期待している口ぶりで燕寿は言う。衣を寝台へ投げると、首輪だけを手に取りうっそり笑った。闇色の目がきらきらと輝いている。はめこまれた黒曜石の中にこの世の終わりでも見たみたいな顔の、自分が映っている。

「それでも、なれるはずのないモノになるんだろう、お前は。自分の決めたことだから。選択したことだから。…妹のためだから?」

何が悪いんだ。反論しようとしても、うまく言葉が紡げない。代わりに出たのは、空気が気管を通過するひい、という音だけだ。白皙の面はどこか熱を帯びている。互いの鼻先が触れあうまで近づいて来て、食われるんじゃないかと錯覚した。

「妹を守るという大義名分がなくなったら、迦眩はどうするのだろうな。ここから逃げ出すか?」
「…んな、わけ、ねえだろ…」
「どうして?」

決めたんだ、俺が。一度そう、決めたんだから、最後までやりおおせないと。
例えば、燕寿が飽きるまで、とか。こいつに本物のつがいができるまで、とか。
それが俺の意地で、なけなしの矜持で、―――よすが、だから。
だから、妹のことは、

「あいつのこと、は、…関係ねえんだっ!」

距離を取るべくして伸ばした腕の先、拳で相手の胸板をどん、と叩く。動じた様子もなくやつはそれを受け、俺を見下ろしていた。心のどこかで、いけないやめろ、と警告が聞こえる。
ここが分水嶺だ。足を突っ込んだらもう、後戻りはできなくなっちまうのに。

「そうだよ、俺が決めたんだ。だから自分のケツは持つ、って言ってんだ。…なにか文句あるか!」

「…言ったな」とばけものの口が裂ける。「その言葉が、聞きたかった」


口脣になだめるように、やわらかな接触がある。いつも強いられる、さながら、俺の中身を引きずり出すようなやつとは正反対のやり方だ。
瞬きも、抵抗することも忘れて次々降り注ぐ口づけを受けている間、羅衣の襟が引き下ろされた。熱く、乾いた指先がむき出しの鎖骨に目印をつけるがごとくなぞっていく。
開ききった目蓋の震えがとまらない。ほぼ露わになった上半身のそこかしこを男の黒髪が撫でていったときは、悲鳴が漏れそうになった。
かちり、と耳の少し下で固い音がする。判決の木槌にも似た、決定的な音だ。

燕寿はもう一度、俺の口脣を食んだ後、そのすらりとした背を正した。
次にやつが発する言葉が名実ともに退路を奪うのだと、不出来な頭でも予想はついていた。

「―――火浣布、名を倫の燕寿という。縁に従い、互いの命を依りとし末永く番うことを誓う」

首を戒める冷たい金属が、みるみるうちに体温を吸って温くなっていく。
承諾に唱える神の名前など忘れた。第一、元から頼りになんてしていない。

いと至(たか)き身からすれば、虫けらのような存在かもしれない。執政を約された男のように、名を刻むことも、誰かの記憶に残ることもない―――それでも。

俺はここから出て行くために花精を詐称する。
後宮に押し込められ、やつの”女”としてのみ使われるくらいなら、なりえないものに、なってやる。
死んだほうがましだった、と悔いる日がいつか来るとしたら、そのときが、己のいのちを捨てる日なんだろう。


男の肩に手を掛け、つま先立ちになった俺は、相手の口脣へと自分のそれを押しつける。
誓いの、代わりだった。

>>>END



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