(8)
周霖は言い返そうとしたのか、僅かに口を開いた。
が、いつまで待っても、聞き馴染んだ嘲弄は振ってはこない。袖を握ったまま動こうとしない俺をまじまじと見ている。そのうち、不意に、―――ほんとうに前触れなく、射殺すような眼力が緩んだ。
捕まえられた腕と逆の手を、己の口元へ持っていく。肉厚の舌でもって親指をべろりと舐めると、濡れた指の腹を俺の頬へぐいぐいと押し付け始めた。
「っ!」
「そんなんつけていきがってんじゃねえよ」
汚れた指を無造作に比礼で拭い、もう一度。力加減に容赦がないから、思わずよろけた俺を、今度こそ馬鹿にしたように笑った。縋っていた手をうまく使われ、引き寄せられる。荒々しくもうつくしい線の鼻梁がとんでもなく近くにある。反論も制止も封じられて、ただ悲鳴が漏れた。
肉食獣がやる仕草で頬を舐められた。すぐに薄い皮膚を食い破るように歯が突き立てられる。抱え込まれたら最後、逃げ場なんて何処にもない。
通行人が何を勘違いしたのか、口笛を吹きかけ、…次の瞬間には走り去っていた。
「どこの誰とも知らねえ奴の、臭っせえ血、つけやがって」
「う…、い…」
痛い、と訴えることすら赦されなかった。ずるずると路地裏へ引き摺り込まれ、背中が押し付けられたのは冷たい壁。飯店の裏なのか、饐えた臭いが漂っている。猫か鼠か、けものが逃げる足音がかすかに聞こえた。石壁に阻まれて、店からどっと上がる歓声も遠い。
硬い髪が露わになった首を突き刺す。ざわつく感覚はそこと、…胎の奥だ。
感情に関係無く押し出た涙を、男は殊更ゆっくりと舐め摂った。膝頭で断続的に股座を刺激されると、当たり前に衣の下はしこった。喘ぎとしか表せない呼吸に甘いものが混ざり始めた段に至り、深く後悔する。周霖は甘噛みを続けながら、舌先でもって首筋を幾度も辿った。それが顎へ移り、脣をはむ。舌を引きずり出され、堪らず応じる。は、は、と獣じみた吐息すら共有する。
力強い手が尻肉を割った。下腹部へ張り詰めた牡の感触を擦り込まれて眩暈がした。
色々と言いたいことはあった。が、どれもこれも、今、糾弾したところで無駄なだけだ。露出した肌を余さずねぶりながら、俺の脚を小脇に抱えた男へは、結局。
上がる熱に煽られて首を振ったのを、抵抗と見て取ったのかもしれない。下穿きへ手を突っ込まれ、直截に陰茎を嬲られる。情けなく色めいた声を漏らす俺へ、男はくつくつと含み笑いをした。
「どうせてめえのことだ、…世高にあげる報告のことでいっぱいいっぱいなんだろ」
そう―――だろうか。いつもの俺であれば、迷わず首肯したところだ。
だが、この温かな体に、しっかりと筋の張った首筋に。腕を回すとひたすらにかき抱きたくなる。
…俺は怒っているんだよ。周霖。お前と同じように。
「な…にが、ぁあっ、き、…気に食わない、んだ…」
触れあう体越しに伝わってくるのは憤怒。低い同調の力をも振り切って、こころを苛む。
「さあな」と花護は軽い調子で言った。鬱陶しげに眉根を顰めているのは、彼もまた俺の感情に揺さぶられているからだろうか。
「…そう思うのなら、なにゆえか考えてみろ。てめえのその、鈍い頭でな」
>>>END
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