(3)
そんな悪所を背景に平然と降り立つ伎良は、実に奇妙な存在だった。
以前に迎えに来たつがいは眉を顰め、口元を隠し、一刻も早くこの場から立ち去りたいと全身でもって主張していたものだ。焚琴路のような吹き溜まりは、花精にとってあまり歓迎出来た場所ではない。周霖の「悪友」たちのような、国試に合格したものの、つがいを得損ねた無役の花護がたむろしている店もある。そうした連中が花精を奥へ引き摺り込んで不逞を働くといったことも、事実、あった。
伎良は相当に地味な容貌だから、衣袍さえ整えれば人間で通るだろうが、必ずしも己の外見を念頭に置いた上での行動では無さそうだ。
「あたしはあんたが真面目に仕事さえしてくれたら何でもいいのよ」
白皙に刺客の血を点々と散らして駆けてきた花精の姿を思い浮かべていた周霖は、欠伸混じりに告げられた一言で我に返った。
「…してるさ」
「すごくすごくすごーく、広い意味でね」と世高。ふたたび襲ってきたらしい欠伸を今度は噛み殺している。「狭ぁあい人の世においては、あんたの職掌は栄えある都察院の御史だから。巡境使じゃないんだから。そこんところ、忘れないように」
そのつまらない役目ゆえに余計なやっかみまで買うのだ。まともに蟲を狩る任に叙せられていたら、尻の青い花護たちに追いかけ回されずとも済みそうなものを。
「以前から出している異動の願いはどうなっている」
「あんなの、あんたの親父が手回しして握りつぶしてるわ」
「……」
あほか、と言わんばかりの口ぶりにうんざりした。
名実ともに蟲を狩るつとめに就きたくても、家柄が赦さないというのなら馬鹿げた話だ。そんな家名などどぶに捨ててしまえ、と思う。
世高とて、煬家の―――ひいては、謝家の犬である。都察院御史大夫、牡丹の花護と尊崇の念を集めたところで結局は、地位の安住と引き換えに、嗣子(あとつぎ)たる周霖の監視をする、つまらない男だ。
(「羽目を外すな、か」)
父から、また、世高から見れば、男の行動など謝家を背負う前のやんちゃ程度のものだろう。
―――その程度の。
「…伎良のこと、大事に使いなさい」
毎回口を酸っぱくして言うようだけれど、と大夫は付け加える。
「花精は、春御方からの大切な賜りものなんですからね。これまたしつこいようだけど」
「…これ以上ないくらい大切に使っている」
男は嗤う。己ほど花精を有益に使役している花護はいるまい。装飾品のように花精を遇する者、性具としての価値しか見出せない者は愚かだ。いっそ翡翠や瑪瑙でひとがたでも拵えて連れ歩けばいい。
花精にひとと交わる能力があるのは、より多くの理力をつがいに与えるために尽きる。彼らは花護が天授されるもうひとつのつるぎであり、楯なのだから。
「肉の一片、理力の一滴たりとも無駄にはせんさ」
「それが一番心配なんだけれど。…ま、昔に比べりゃ大分ましか」
語尾が独白めいてきたところで、長居は無用とばかりに今度こそ、世高の前を辞した。
周霖の過去現在の行状をあげつらいつつ、仕事をこなすことなど、器用な大夫にかかれば朝飯前なのだから。
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