行火(あんか)
扉を叩く。中から応といらえがあって、両の戸を力任せに押し開けた。竹簡を眺めていた世高(せいこう)は入ってきた男を見、興を惹かれたように眉尻を上げる。
うねる金茶の髪、涅色の双眸。冷淡さで彩られた顔立ちは粗っぽくもよく整っている。登庁の際に義務づけられている紺の官服ではなく、磨墨染めの平服を身に纏っていた。流石に剣鉈は佩いている。法に則ったというよりは、習慣でしたまでのことだ。
世高の興味の先は、この身形と別にあるのだろう。
なにせ、この御史大夫ときたら、与えられた官服に切れ込みを入れたり、派手な牡丹を縫い取ったり、提灯袖を足してみたり、と、余程の規則破りだ。他の行状はともかくとして、衣袍に関しては俺の方がまだましだ、と男は思っている。
携えてきた巻物を突き出せば大夫はにやつきながら受け取った。からかいも露わな、厭な笑い方だった。夜更けにも関わらず、口脣にはしっかりと紅が塗られ、慣れた手つきで紙を広げる指先も艶やかな薔薇色を宿している。
「てっきり、かわい子ちゃんが来るかと思ったわ」
「…知らねえな」
「あんたの所のかわい子ちゃんよ。周霖(しゅうりん)」
舌打ちをしたら、高笑いという、些か気色の悪い応答があった。
同じ紺旗、謝家の一族の中でも煬家の世高ほど面倒な相手はいない。この年嵩の縁戚は、真っ向勝負を挑んでもするりと躱し、それではと策を弄せば完膚無きまでに手足を潰してくる。だが、周霖自身をどうこうしようという気はないらしい。むしろ庇うことすらある。父はこの男女に目をかけていて、周霖のお目付役も兼ね、都察院の御史大夫に据えたのだとか。大きなお世話にも程がある。
待ちかねたといった様子で、追加された報告へざっと目を通した後、満足気に頷く。
「お疲れさま。悪かったわね、遅くに。これで充分よ」
「…」
珍しくも殊勝にも聞こえる労いに、しかし、揶揄の言葉は出なかった。
以前から、他国から流れてくる品に大夫は殊更注意を向けていた。
特に蟲の死骸から取れる装甲や体液、それらを加工した粉末や薬品などを。公式に買い入れられたもので、多くは益となる。だが、例外もあるのだと世高は言う。
「品物がね、景陵に到着するまでちょっとずつ目減りしてるの。しかも特定の部位ばかり。おちびさんたちが卓の上の砂糖菓子をくすねるみたいに」
「…礼部の主客府か」
「それか、太府寺ね」
いずれも外交や交易を担う部署庁である。
治天の君と名高い鶯嵐の腕をもってしても、官吏の不正を完全に無くすことは難しい。多少のことならば、強硬に出張ることはしない大夫が、重箱の隅をほじくるときはそれなりの理由がある。
「―――まあ、いいわ」
今夜のところは、皆まで語るつもりは無さそうだ。周霖としても、若干の興味はあったが、つまびらかな説明を貰える期待は流石にしていない。正直なところ、早く帰って温かな寝床に潜り込みたかった。
「…では、失礼する」
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