(7)




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掌を耳で覆い、目蓋を硬く閉じる。祈りが、頭の中をひっきりなしに掻き回す。
そんなことをしたって逃げられはしない。いつもどこかで誰かが哀しんでいる。苦しんでいる。

楽園なんて存在しない。
おれがかつて住んでいたところと、この訳の分からない世界は、幾つかの些細な違いを除けば同じだ。唾棄すべき役割を押し付け、妙なところに閉じ籠める分、こちらの世界の方が悪い。何もかもすべて、消えてしまえばいいのに―――けれど同時に、その気持ちを必死に押し殺す。

何故なら、そうと願えば実現してしまうから。

これは夢だ、夢なんだから人も動物も花も、生きようが死のうが知るものか。おれの知らないところでみんな勝手にしてくれ。
もしかしたら、この世界を吹っ飛ばせば、元来たところに戻れるかもしれない。
そんな誘惑に駆られて、道の端々を行ったり来たりするように、思考はふらふら彷徨う。結局、どこへも行き着かず中庸に落ち着く。意気地無し、と心の中で嘲笑うのはもうひとりの自分。

…親や友達、おまえを知るものはここには居ない。おまえは、ひとりだ。他人の機嫌が取れるわけでもないのに、いい子ぶるのはやめてしまえよ。

勿論これも、耳を塞いだところで逃れられはしない。
誰かの不幸を踏み石に自由を手にする度胸もなく、彼らを憎みきる強さもない。結局は現状維持だ。
泣きじゃくるおれを、心密かに世界の崩壊を夢見るおれを、連暁はやさしく抱き締める。
これはわるいゆめです。いつか必ず醒めますから、と。


楽園はなくとも、神様はいる。
今までも、そしてこの先も、これ以上に馬鹿らしい冗談はないだろう。
おれは、神様なんだそうだ。くだらなさに、涙も笑いも出てこない。



その日も――と言っても、いい加減時間の感覚なんてぼやけてきていたけれど――、いつも通りに庭、と呼ばれる下界から、ありとあらゆる悲嘆が、苦痛が、誓願が、おれのからだを串刺しにしていた。
制服のネクタイを緩め、襟元を乱しながら至聖所の柱にもたれ掛かる。呼吸が浅い。心臓をシャツの上から抑え、ぐっと堪える。
連暁を呼んで、抱いて貰えばこの苦しみが緩和される。彼はいやな顔ひとつせず、丹念に愛撫しおれを貫いてくれる。恥ずかしい、と泣けば後ろから犯す。罪悪感を得ないよう、自ら悪を詐称してまで。
…でも、それではまるで獣だ。
おれは獣でも神様でもない。ただの人間なんだ。
もうやめてくれ、と思った刹那、空色と白で張られたタイルの一角が音を立てて崩れた。

「…ああ、…くそ…」

なんなんだよ、と呟く。眼鏡のパッドが膚に張り付いて鬱陶しいことこの上ない。乱雑に外し、手の甲で汗を拭う。

『たすけて』
「…うるさい…」
『たすけてください』
「…、…たのむよ…!」

ばりん、と凄まじい破砕音がして、割れた破片が舞い飛ぶ。ついでに下界を覆っていた雲が見る間に黒みを帯び、稲光がするどく牙を剥き始めた。

「春御方(はるのおんかた)!」

宮宰(きゅうさい)、と呼ばれる、世話係で一番偉い人、待月(たいげつ)が慌てふためいてやってくる。人という表現は必ずしも正しくはない。彼らは花精と呼ばれる存在で、花の化身なのだと言う。待月は、木蓮の花精だそうだ。正直、意味不明である。
纏わり付く数多のねがいを振り払おうと、柱に頭を押し付けながらずるずる座り込んだ。いっそ、掌でも噛んでいようか。血が出るまで、感覚が、失われるまで。

そこへ、きん、と。
こめかみから、ナイフが貫通するかのように、声が。

『この身が――八つ裂きにされても、』
『この子を、高子を』
『ははうえ』

「―――っ!」

脳裏いっぱいに拡がったヴィジョンは呼吸を止めるに容易い光景だった。


ひとつ瞬きをすると、両の足は砂利を踏んでいた。
ふたつ瞬きをすれば、炎の熱さが背中を焦がした。
愕然とこちらを見る三対の視線を受けながら、歩く。
風迅はおれの足に、雷霆は掌にあった。言い尽くせぬ怒りに体中の血液が沸騰しそうになる。

―――あんた。あんたたちは。一体全体、何をやっているんだ?!




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