(4)
「澄鳴」
「はい、御館様」
「兄の子の中で、高子がもっとも強い花護になると、いつぞや、そう申したな」
「相違ございません」と淡々と花精は返す。「いまだ理力の発露はない模様ですが、我々には分かります。もう二年もすれば、高子さまは優れた花護にお成りでしょう」
「然様か」
本能的な動きで、少年は後退りをした。砂利が鳴る。一歩退く、と、男も一歩こちらへ進む。
「そなたの母が、最期までそなたの命乞いをしていたのはそうした理由かもしれぬな」
「は…?痛…っ?!」
さらに数歩にじり下がったところで肩に激痛が奔る。
まるで暗闇が覆い被さってきたようだった。ひい、と喉が鳴る。怖ろしさに悲鳴も死んだ。
叔父が、容赦のない力加減で細い上腕を捻りあげている。
「お、叔父上、いた、痛い…!何を…!」
混乱と痛みで、涙が瞬く間に迫り上がってくる。
歯を食いしばり激痛を堪えながら叔父を仰ぎ見た。炎が、不吉な輝きをその面に添えていた。眼球は血走り、刀か矢が擦ったらしい浅い疵が幾創も浮かび上がる。心やすく感じていた人懐っこい顔立ちは狂気に引き攣り、歯を剥きだして笑う表情は悪鬼のそれだった。
「たとえどんな目に遭わされても良い、高子の命だけはお助けくださいと何度も、何度も、なあ。この足に無様に取り縋っておったよ。あの高慢ちきな女がな」
「い…、うぁ…」
「あれと夫婦になってから兄上も変わられたのだ。殊更に、己が兄だ、煬家のあるじだと大層に偉ぶりおって。しかも今度は正青旗に嫁を入れるとまで言い出した。そんなことで、俺を出し抜けるとでも思うたか!」
歯の根が噛み合わず、かちかちと鳴る。先ほど納戸に入っていたときとは比べものにならない恐怖が、少年を襲っていた。
(「…殺される、殺される…!!」)
叔父が口走る話の内容は、理解を遙かに上回っていた。
父は日頃から、人によく慕われ、社交的な弟を自慢にしていたのに。酒が入ると「俺はついつい喧嘩をするが、あれに任せておけば万事すべて丸く収めてくれる、煬家は安泰だ」と。窘める母の言葉などはなから無視し、長広舌を振るった。数多ある、酔った父の放言録のひとつである。
その父が、叔父をないがしろにする筈はない。何としてでも、伝えねば。やさしい叔父のことだから、話せば分かってくれる。
しかし、少年の舌は石になったかのように重く、動いてはくれない。
「澄鳴」
「はい」
無言で佇んでいる花精の名を、男は再び呼んだ。
「姉上は、いずれ強力な花護となる高子に父母の仇討ちを託したのだろうか」
「否定はできませぬ」
「…そうよな」
澄鳴。
「はい」
「高子の腕を押さえつけよ。何があっても放すな」
「―――御意」
ひんやりとした手が、―――あれだけ頼もしく思った花精の手が、少年の腕を取り、後ろへ回した。叔父の遣りようよりも遙かにやさしく丁寧であったが、状況はなお悪くなっている。海棠精は首に掛けていた比礼を縄代わりに、子どもの手首を縛った。そのうえで、暴れぬように押さえつける。恐怖心が痛みを上回り、何も感じない。ただ、身動きが取れない怖ろしさが小さなからだを瘧のように震わせていた。
「そなたの母は、命さえ助かればそなたがどうあっても構わぬと申していたぞ」
「ひ…、ひ、え…?」
「ゆえに、命だけは救ってやろう。他ならぬ、御姉上の頼みであるからな」
(「…え…」)
命は、助けてくれる。
信じがたいことだけれど、確かに叔父はそう言った。わななく口脣で必死に音を紡ぐ。
「ほ、ほんとうに…」
「ああ、本当だ。この叔父が、お前に嘘を吐いたことはあったか。高子」
首をぶんぶんと横に振ると、男は満足そうに頷く。
「で、あろう。だがしかしな、けじめというものはつけねばならぬ。…けじめの意味はわかるか?」
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