(9)



叔父は一瞬で塩の塊になった。
つがいの花精は存在すらなかったかのように、消えてしまった。

代わりに現れた蒼い眼の青年が二人をどうにかしたのだ。一目瞭然だった。
ことわりの力は花精がいなければ使えないけれど、叔父の命を奪った業(わざ)は人間離れをしていた。にも関わらず、彼は独りだ。しかも、今は丸腰に見える。

きっと逃げなければいけないのだろう。まともに考えたら、次は自分の番だ。叔父のように砕かれるのか、澄鳴のように消されるのか、もっと別の方法で殺されるのか。
不思議と恐怖心はない。
頬をすりむき、下穿きはおろされ、汚した下肢を剥き出しにした情けない姿でぼんやりと立ち尽くしている。気付けば火勢は随分と収まり、狂騒も静まっていた。動いているものも、一つ足りとて無かったけれど。
世界は単純な色で構成されていた。夜と消し炭の黒、炎の赫、己の纏う衣の白。近付いてくる青年の双眸は、蒼穹を閉じ込めたかのようだ。

「ごめんね」

周囲を見回しても無論、誰もいない。
ぽつりと落とされた謝罪は、間違いなく少年に対して向けられたものだった。

「きみの、叔父さんを、…おれは。違うやり方もあったはずなのに」

(「…?!」)

助けに来てくれたのか?自分を?
彼はこくりと頷く。うっすらと浮かべられた笑みは頼りなく、痩せた体躯と相俟ってひどく弱々しげに映った。先ほど叔父を断罪したときの様子が嘘のようだ。

「お母さんが、…ええと、きみのお母さんが、おれを喚んだんだ。高子を、助けてくださいって。きみが、高子くん、なんだよね」

(「…母様が!・・どうやって?ちがう、母様は生きているの?どこにいるんだ?」)

今度は首が振られた―――横に。
それで、分かってしまった。思ったとおり、駄目だ。駄目だったんだ。

「ごめんね」と彼はもう一度謝罪を口にする。蒼い瞳はするする涙を零し、硬質な印象のある頬を伝い落ちていった。

「肝心なことはなにもできないんだ。時の運行に関わること。黄泉の扉を開くこと。亡くなったひとを連れ戻すこと。…役目を、放り出すこと。
きみのお母さんは、ずっときみを心配している。いつまでも、どこからでも見守っているから」

膝をつき、少年の手を壊れ物のようにそっと己の手にとった。彼の体温は高くも低くもなく、ただ、やさしい。
いつの間にか、身につけている床袍が真っ新になっている。帯がしっかり結ばれ、寝台に入る前、着付けてもらったときのままだ。右頬と顎にあった痛みも癒え、花精によって縛られた手首は痕跡すら見出せない。

「できるのは、これくらい」

開いて、と囁かれて固く握っていた拳を開く。
その中にあったのは、黄金の台座に、深い緑の縞をもった宝石の耳飾り。煌めくこがねの板が指の隙間からしゃらりと落ちる。
母が、もっとも気に入っていた品物だった。別れのときも、身につけていた。あれが最期になるなんて、思わなかったのに。

「う…っ、」

夜は安らぐもので、朝は一日の始まりで愉しみなもので。起きて広間に行けば、父母が、きょうだいたちが揃っていて。家令を筆頭に使用人たちは忙しく働き、皆、少年を見ると笑顔で挨拶をしてくれた。
おはようございます、高子さま、と。

哀しみはゆっくりとやってきた。少年の心が追いつくのを待っていた。
喉が開き、ああ、ああ、と聞いたこともない音が己の体から迸る。
頭が撫でられ、背中から引き寄せられる。首筋に柔らかい毛先が触れた。
抱き締められて、抱き締め返す。心臓の鼓動が少年の胸の、左と右で響いた。





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