(2)
「まあ、私も可憐なお姫様にころりと参っちゃったクチだからなあ…」
「そうでしょうとも。だってあたし、可愛いもの」
上等な絹織物にするみたいに、丁寧に頭を撫でてくれる煬世の手が好き。
このひとは花精の扱いをよく分かっている。だからあたしはとても楽に呼吸ができる。頭ごなしに命令されることもない、変態じみた要求をされることもない。すごく、倖せ。
「まだ、安心はできないけれど」と煬世は言う。「…今度は長く続いてくれるよう、祈るばかりだ」
「伎良のため?…それとも、謝家のため?」
あいつの名前を直截に出すのはいやで、言う寸前に言葉をすげ替えると、煬世はそれを察したみたいに苦笑した。なによ、と菫色の片目に掛かかりそうな長さの、黒い巻き毛を引っ張る。
「そうだね。花精が無駄に枯れていくのは惜しいし、このまま周霖が落ち着かないのは憐れなことだ」
「……」
でも、このひとが一番案じているのは別のこと。
柳のつがいや、まして謝家のことなんか二の次、三の次。あたしだって次第によっては後回しになる。
「春御方が少しでも安らうように。…そればかりを祈るよ」
「…うん、」
昔、何かの折に教えたことがあった。およそ庭に住むすべてのいのちの嘆きや、苦痛、誓願は、すべて春の庭師の元へあまさず届けられているのだと。
雨はかの方の哀しみ、雷電は怒り、曇りは憂い。春苑の空の多くを占める蒼穹は―――空虚だ。春御方の御心によろこびは存在しない。あまりに強すぎる力に苛まれて、大半を眠りと儀式に費やしている。
あたしの二代前の牡丹が、庭師の側近くに仕える宮宰に任じられていたことがあって、彼の記憶の欠片がそう、告げている。花精の誰しもが知っている話じゃない。それこそ、百花王や宮宰じゃないと知らない秘密を、煬世には教えて上げたのだ。
彼がとても、…そう、礼部の祠官たちなんて比べものにならないくらい、信心深かったから。
後ろからぎゅ、と抱き締められているのに、くっついた相手の内心を思うと気持ちは波立った。游水にあそぶ小舟みたいに、ゆらゆら揺れる。
公主みたいに大切にしてくれるのも、可愛がってくれるのも、全部全部、至聖所に住まう御方のため。此岸のくるしみがひとつ取り除かれれば、庭師を灼く天の火は僅かに静まる。そう悟ってから、彼はどんな落ち穂も、抜け殻みたいなやつまで進んで拾うようになったのだ。分からず屋たちに陰口を叩かれようが、朝議の場で偉ぶった高官たちに厭味を言われようが、徹底的に。拾い上げたのがたとえ柳の枝であっても、この花護は躊躇しなかった。
それが煬世の願いなら、あたしのやることは決まっている。
―――全力で、叶えてあげる。
大好きなつがいのためなら、執政の首を刎ねろといわれても、厭わない。
「よし、阿僧祇。お使いを頼まれてくれる?」
「…なあに」
肩に頭をもたせかけるようにしていた花護が悪戯っぽく笑った。つられて微笑む。
「いいわよ。ご褒美、あるのよね」
「勿論」
「いつ、行けばいいの?千里のところ?また、胎宮に降りて牡丹の株を取ってくればいいのかしら」
「もっと刺激的で、もっと面白くて、すぐに行けるところだよ」
ほどなくして、あたしは都察院左房の、とある執務室の前に立つことになった。片手に瓜、もう片方に赤飯を詰めた風呂敷をぶら下げて。
>>>END
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