(3)
散らかした氷の破片を片付けたり、水を捨てに行ったりしている間、周霖と世高の応酬は途切れなく続いた。よくもまあ、次から次へと文句が浮かぶものだ。半ば呆れ、半ば感心しながら戻ってくると少し前よりつがいの目が潤んでいる。息もぜいぜいと不規則だ。
分かり易くぶり返した熱に、俺は嘆息する。大夫の方はと言えば、全く意に介した風もなく、朗らかな笑声を上げている。ここぞとばかりにいたぶっているように見えるのは―――多分、気の所為じゃないな。
「じゃあ、誰か人を遣るから。伎良、ここ包丁はあったかしら。そうね、食堂に頼んでおくわ。包丁と、皿と」
「お気遣い、痛み入ります」
「いいのいいの、滅多にないものも見られたし。まさに鬼の霍乱ってやつよね。鶯嵐さまもどうしてこんなときに限って庭府を離れているのかしら。お戻りになったら自慢しなくちゃね」
「余計なことをする、な…ゲホッ」
「あんたがそのまま風邪っぴきでいてくれたら、わたしの手間も省けるのにねほほほほほ」
「―――このッ…!!」
周霖の不調は俺にとっても辛い。元気になればまたぞろ脱走すると分かっていても、床に貼り付いて魘される彼を見るにつけて、胸が引き絞られるように痛む。医道の心得があれば、理力を流し込む術もあるのだが、生憎自分は医士ではない。
ことわりの力を用いた恬子の治療を、周霖は断った。最低限の方剤と休息で何とかするのだと言う。高熱に炙られる意識の下、頑として聞き入れないつがいに俺は、頷くしかなかった。だから、日頃の行状を鑑みて意趣返しに趨りたくなる世高の気持ちも理解できたが、好きにさせるつもりもない。
「…世高さま…」
「…あら。ちょっと調子に乗り過ぎちゃったかしら。つがいのお目々が三角になってるわ」
見上げれば、大夫は片目を器用に瞑ってみせる。ひらひらと上下する睫毛は蝶の翅のようだった。
「そろそろ戻るとしますか。…眉城、奉城、財城、権城の見聞、最新のものが風俗使から来てるの。伎良、あんたが見て、纏めておいて。そこの病人が本復したらすぐに取りかかれるように」
「御意」
「周霖はさっさと治すことね。実に愉快な眺めだけれど、こうして見慣れるとちょっとどころじゃなく鬱陶しいだけだわ」
「お前の存在に比べればマシだ」
「ごつさ勝負のあんたと綺羅星の輝きを誇るわたしを同列にしないで頂戴」
ああ。このままだとまた振り出しに戻ってしまう。椅子から立ち上がり、それとなく扉へと促そうとすると世高は可笑しげに肩を揺らした。
「今日のところは可愛い柳に免じて堪忍してあげる」
攻撃的なまでに踵の高い沓をかつかつと鳴らしながら、大夫は出口へと向かった。見送るべく数歩後から付き添うと、抑えた声音でもって名前を呼ばれた。
「それにしたってなんで風邪なんて。…子どもじゃあるまいし、腹でも出して寝ていたのかしら。病が避けて通るような奴なのに、…ねえ、伎良。あんた心当たりはある?」
腹どころか、衣一枚纏わぬ姿で床に就いたことを思い出す。だが閨に入るときの彼は大概その格好だった。今更、風邪をひくとは考えにくい。
むしろ原因と思しいのは”狩り”だ。
先だって、周霖と俺は乏しい休暇を利用して蟲を狩りに出向いた。夜から翌日の朝に駆けて移動をし、戦闘ののち、すぐさま景陵へとんぼ帰りをする強行軍。しかも敵は根食(ねくい)蟲、と呼ばれる甲虫で湿地帯に生息していた。これがいけなかったのだ。
幾ら温暖な気候の春苑でも、冬の巡りともなれば早朝の寒さは厳しくなる。そんな中で腰まで沼に浸かり、蟲が姿を現すまで蒲畑に身を隠すとなれば、当たり前に体は冷えた。
見た目こそ華奢だが、花精は時に花護よりも丈夫だ。ただびととは比べるべくもない。
特に柳は耐久力に優れた種で、俺自身、理力は並だが丈夫さだけはそれなりにある。周霖がかつてつがっていた樒(しきみ)や唐桃に劣るものの枯れずに済んでいるのは、恬子の手厚い治療と、この体躯の御陰だと思う。
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