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「…よし、これでいいか。周霖、冷たすぎるようなら言ってくれ」

汗の浮いた額を丁寧に拭き取ってから薄布を乗せ、その上に口を固く縛った氷嚢を置く。周霖は無言のままだ。口を開けば世高にからかわれると思っていることが丸わかりで、俺はわからぬ程度に小さく笑った。
特に問題はないのだろうと、蒲団を掛け直す。枕辺に侍ってあれこれと世話を焼く俺を眺めつつ、世高は悩ましげな溜息を零した。

「伎良のために用意した寝台が、こんな形で役に立つとはねえ」

はい、と。これには躊躇いなく頷いた。
ここは官舎ではない。都察院にある周霖の執務室だ。大きくとられた格子付きの窓のきわは本来、打ち合わせ用の小卓と椅子を置いていたのだが、それらをとっぱらって、代わりに一人寝よりもやや大きめの寝台を据えた。小さめの書き物机と脚の高い椅子をひとつ添え、盥や水差し、薬袋などを広げる場所に宛がっている。

一年ほど前、この椅子のあるじはもっぱら医女の恬子(てんこ)で、俺は臥榻(がとう)の住人と化していた。
その頃ひとつの騒動があって、周霖は謹慎刑、俺は養生を余儀なくされ、都合の良い収監場所兼病室としてこの執務室に白羽の矢が立ったのだ。
花喰人と悪名の高いつがいの御陰で、俺は春苑一生傷の絶えない花精であった。
仰臥しながらではあるが書類仕事が出来、しかも周霖の補助と監視も可能とあってはこれ以上の療養場所はないように思われた。以来、格子窓には巻き上げ式の日除けが取り付けられ、下部に衣や布を仕舞う抽斗を備えた寝台が鎮座することになったのである。

まさかここで看病される羽目になるとは予期しなかったろう、床に就いてからこちら、周霖はずっとふてくされたままだ。太い眉、眼光鋭い両の眼、不遜さを湛えた薄い口脣は獅子に喩えられるほどの強面だが、そこに不機嫌が加わると近寄りがたさは倍増しになる。
花精はまずもって、つがいに恐怖することなどない。故に彼が怒ろうと暴れようと(流石に体力が伴わない様子だが)無頓着な俺と、問題児のあしらいに概ね成功している大夫、最早捨て鉢の恬子を除けば、下官も他の医士も遠巻きにしている。同僚たる万廻は地方への巡察に赴いていて、目下不在だ。
緩衝材の一角が欠けているこの状況で、部下たちを怒れる猛獣の前に押し出すわけにはいかない。つがいの勤めもあるし、看病を買って出た俺に、皆は一も二もなく役を任せてくれた。周霖も周霖で、他の人間が体に触れるのを厭がった。恬子が脈を測るくらいは赦すけれど、触診や湿布のとりかえは俺に命じている。

「それで?案配はどうなのよ」
「随分と熱も下がりました。恬子の薬がよく効いているようです」
「あの娘は本来、人間を看る為に配属された医女だからねえ」と、世高は臥榻へ流し目をくれる。
「花精の怪我やら病やらの始末は、恬子の師から伝染しちゃった趣味みたいなもの。皆がどう思ってるかは知らないけど、医士や医女なら誰でも同じことが出来るわけじゃないの。あれは、たまたま。だって泰平の春苑にあっては本来無用の術ですものねえ」
「…何か言いたいことでもあんのか」

睨み返した周霖へのいらえは「別にぃ」などと、至って空々しい。

「本業に専念できるようになってよかったなあって思っただけ。都察院付きになってから初めてよね、きっと。ああ良かったぁ。わたしもほっとしたわぁ」
「…くそ」

小さく呟かれた悪態はきれいに無視して、大夫はにんまり笑った。爪と同じ色に塗られた、鮮やかな紅の口脣が弧を描く。傍らにあるつがいの気がぴり、と苛立つのが伝わってくる。

「そうそう、配城の領地から、金瓜のいいやつが来たの。冷やすと甘みが増して、食欲がないときも口にしやすいわ。後で届けさせるわね」
「不要だ」
「あらぁ、好意は素直に受け取るものよ?」
「お前の好意なんぞ金を積まれても受け取る気にはならないな」
「やだ、そこ照れるところじゃないわよ」
「照れるわけあるか!」


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