(3)
「ふうん」
鼻を鳴らしつつ、ある明確な意図を持って動き始めた手に、目を閉じた。
…駄目だろ。
「くっそ、これじゃあ勃たねえかもな…」
「頼む、寝てくれ」
「うるせえ。黙れ」
ようやくいつも通りになってきた、と思うのは自虐的に過ぎるだろうか。このまま流されても良いことは欠片もないので、とりあえず手を突っ張って抵抗する。
無造作に振り払い、俺の両手首を床へと押し付ける膂力は万力のようだ。うねる白い腹を嗤い、男は、魚の腹にでも食いつくみたいに歯を立てた。下肢に奔った衝撃を逃そうと蒲団に頭を擦りつける。
「周霖―――、」
その瞬間。
小型の颱風と表現すべきか、重い風の塊がどん、と通過した。
日除けが窓硝子にぶつかって騒々しい音をあげる。報告書が雪崩を打って落ち、盥の中の水に細かな漣が起きた。布巾が突風に舞い上がり、―――そして、周霖は勢いよく寝台から転がり落ちた。
「…あんたたち、何やってんの」
可憐な容貌を半眼のやぶにらみにした阿僧祇が、凍てついた声で言う。
「…特にそこのあんた。風邪引いてんじゃなかったの。あたし、はるばる笑いに来てあげたんだけれど」
「…すまない、阿僧祇。返事がないようだ」
「あら、そう」
牡丹の花精は軽い身のこなしで部屋の中央まで来ると、抱えていた荷物を執務机の上へ置いた。世高の見立てだろう、鱗翅のように重なる紅色の衣と、真珠玉の首輪がとても良く似合う。花簪を挿した結い髪もだ。
慌てて跳ね起きようとしたら、ひらりと振られた手で制されてしまった。
「いいの。すぐに帰るから。ここに赤飯と瓜、置いておくから適当にして。煬世から頼まれたやつ」
「あ、ああ」
「それじゃね」
本当の本気で、すぐに帰るつもりだったようだ。哀しいかな、弁明のいとますらない。「花喰人」を蛇蝎のごとく嫌う阿僧祇のこと、無理もないが。
「伎良」
「…なんだ」
振り返った艶やかな桃色の口脣が、小悪魔的な笑みを浮かべている。
「思ったより仲が良さそうで安心したわ」
彼女の感想についても、礼を述べておくべきだったのかはさておいて、覚醒した周霖の不機嫌たるや相当なものだった。世高の洗礼を浴びたあとだったから、尚更だ。
彼の陰口を叩く官吏ですら裸足で逃げ出すような罵詈雑言を、世高、阿僧祇二人分ぶちまけて。
それからふと、不可解そうに首をひねった。
「なあ、…おい」
「うん?」
「花精が花護に刃を向ける条件って三つしかねえだろ。戦のとき、己の種が危機に瀕したとき、あとは、自分のつがいが馬鹿にされたとき…」
その三つのどれにも当てはまらないのに、何であのアマ、俺のこと攻撃できるんだ。
納得がいかないとさらに怒りを上乗せする彼へ、俺は煌々に教わった「年の功」説を主張したのであった。
>>>END
[*前] | [次#]
◇PN一覧
◇main