(6)



袂から、蝋で封をした小ぶりの巻物を取り出すと、鶯嵐は広い背中目掛けて放った。うつくしく放物線を描いて回転したそれを、周霖は後ろ手に受け取る。

「蟄居を解く旨の宣示だ。ありがたく受け取れよ」

巻物を掴んだ手を緩く二、三度振るだけ、それが感謝の意か、鬱陶しいという意思表示だったのかはわからない。返事もなく男は消え、衣冠をきっちり着込んだ執政ひとりが、佇んでいるのみだ。


春苑特有の微睡むような陽気を受け、細身の影は柱のごとく長く、長く伸びている。
石畳に染みついたそれを、ただ見下ろした。
肉と輪郭の隔てがない分身にとって、腰に刷いた両刃の剣鉈は己の体の一部だ。まさか影まで羨むわけにはいかないな。つい口元を緩めてしまうのは最早、反射に近い―――これもまた、黒い染みには不要の体裁だ。

「…花護の本分、か」

淡い薄紅の髪がよりあざやかな赤で染まる日を夢想する。
しなる腰を抱きかかえ、彼のかいなが力を失うほどに理力を奪い、この体躯に宿す。雷霆は蟲をあまさず焼き尽くし、蹂躙するだろう。
百花王は、…千里は、また、嘆くのだろうか。あなたがそう願うのなら、私は構わない。そう、赦してくれるかもしれない。あのやわらかな口脣を彼自身の血で汚しながら。
詮無い想像に身を浸している間は、鶯嵐も、この春の庭も平穏で居られる。どうすれば現実と果たせるのか、そこへ思考が流れていくまでの猶予を、ゆっくり食んでいればいい。

さながら、貘が深い夢を喰らうごとく、醒めぬ眠りに安らいを求める病人のごとくに。


僅かに動く空気を察して、青年は洞のひとつに身を潜めた。
節の目立つ指が、神経質なまでに強く戸口に爪を立てる。よろよろとまろび出た痩身は、皺の浮いた、青緑の衣袍を纏っていた。
碩舎の学生かと見紛うばかりの、凡庸な容姿に首をひねりかけ、即座に悟る。
あれが当代の柳花精なのだ。

その花精はいっとき、白壁へ体をもたせかけて瞑目した。
次に瞼が開いたのちは、みどりの目は何の感情をも宿していなかった。諦めも、覚悟も、―――強いられた疲労ですら。
歩みは頼りなく、手を壁に滑らせながら進む。それでも彼は決して行く先を違えなかった。少し前に、己の花護が踏んだ道を辿る。

「やれやれ」

花護、花精共に柳は不在か。ふたつの背を見送って、鶯嵐は気の抜けた声を発した。

先ほどから頭の中で響くのは、千里の悲痛な叫びだ。
花護が脱走したのみならず、呆然とする官吏たちを余所に、「探しに行く」と言い残して出て行った執政までもが帰ってこない。どこに居るのか、青春宮の中に居るのは分かっているから早く出てこい、とまるで罪人扱いである。このまま放っておけば、一週間くらい口を利いて貰えないかも知れない。そろそろ、潮時だった。

周霖の予言の通り、あの花精は短命に終わるだろう。
柳は元来、強い種だから、期待すべきは次代か。精根尽きるまで使い倒すのはまだいいが、次の柳を得るためにも蟲に喰われるのだけは避けろよ。重々承知しているであろう忠告を胸中で呟く。

瑠璃紺の長衣を翻し、執政はふたりと真逆の方向へ沓先を向けた。今や遅しと待つ百花王のもと、終の間へ。


>>>END


- 10 -
[*前] | [次#]


◇PN一覧
◇main


BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -