執政



外宮本来のきらびやかさとは掛け離れた回廊は、白土の壁と、黒く口を開いた部屋とがひたすらに続いていた。動くものもなく、音を発するものも存在しない。しんと静まりかえった廊下の果ては遠く、石の床が延々と続くかに見える。脇にしつらえてある小庭のみどりが、非現実なあおさを誇っていた。
この一角は平生使われない資材や布地、乾物、油などを保管する庫である。管材方に属する下人がたまさか行き来するほか、訪なう者は皆無だ。

扉のない、洞を思わせるそのひとつから、ぬうと大柄な男が現れた。癖のある金茶の長髪に、紺青の官服、平たい剣鉈を佩いた花護だった。
明暗の差に眩んだのか僅かに目を眇めたのち、特に周囲を警戒した様子も見せず光射す石畳の上へ一歩を踏む。

「…なんて言うか、あれだね。猫が雀の仔でも喰ったみたいな顔つきだ」

男は、粗野と品の良さを際どい配分で交ぜた容貌を、苛立たしげに顰めた。

「お前か、」

矛先を向けられた相手は、苦笑しながら柱に預けた背を正す。
男よりなおあざやかな、瑠璃紺の衣が肩を竦める。戯けた仕草に併せて、胸元を飾るこがねの徽章が煌めいた。

獅子を思わせる外形の男に対して、その青年は鞭のような体躯をしていた。無駄なくついた筋肉はしなやかで、身のこなしも軽い。
冕冠(べんかん)、と呼ばれる礼冠をいただく飴色の髪は襟足を短く切り揃えてあった。甘く整った顔立ちも相俟って、猛々しい武官というより、貴公子的な雰囲気が勝る。
纏う上衣下裳の縁、腰へ差した両刃の剣鉈、漆塗りの沓、すべて贅をこらした代物で、隅々にまで精緻な装飾がほどこされていた。鞘の上で、五弁の花をくわえた龍の紋様が躍る。平民の子どもでも知っている、王の御印だった。

冠から吊り下がる玉簾の向こう、湖水の、と称される双眸を柔和に細め、若き執政は微笑む。

「柳は、さぞかし美味かったとみえる」

うるせえよ、と、周霖は凄んだ。
全く意味のない行動と分かっていながら威嚇するあたり、もはや条件反射なのだろう。

「いつから覗いてやがったんだ。趣味悪ィ。賢君が聞いて呆れるぜ」
「お前のお楽しみをのぞき見するほど暇してないな」青年は笑みに幾ばくかの呆れを乗せた。「ほんとう、ついさっきさ。――不良花護を探していたのは事実だが」
「……」

娶せの儀が終わった後、つがいが成立した花護と花精はひとところに集められる。一同集合し、執政の訓辞を賜るのである。儀式はそれをもって終了する。
だが、終(つい)の間の扉を前に、脱走した者がいた。「花喰人」などという不名誉な仇名をもつ男、目下、執政を睨め付けている謝家の周霖、そのひとである。

新しく柳の花護に就くやいなやの乱行に、青春宮は大騒ぎだ。新米花護がひとり足りないのと、「花喰人」が消えたのでは話が違う。まかり間違っても迷子や手違いでは有り得ない。
中でも泡を食ったのは儀式を司る礼部・儀典府である。滞りなく済むかと思われた「娶せの儀」が最後の最後でぶちこわしだ。
今、階上では儀典官総出でこの有名すぎる花護を探している。千人をゆうに超えるつがいの仲立ちをし、疲労困憊していた百花王ですら、動転のあまり自ら探しに行くと言い出して周囲の者に止められていた。彼の心労を慮れば、悪態を吐くべきはむしろこちらの方だ。

「執政御自らお探し下さるとは、俺も随分偉くなったもんだな」

本来であれば、宮中の移動でも侍従の二、三人を連れている筈が、青年の周囲はがら空きである。尤も、誰が相手でも、付き従う家臣が多くとも、威儀を正すことなどしない男だ。悪びれた風もなく、そう応じた。
揶揄された執政の方とて、今更、と言った感である。二人は花護を養成する「建礼舎(けんれいしゃ)」の同窓生であった。従って付き合いの長さもそれなり、いちいち怒っていたらこちらの神経が保たない。



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