その怒りを羨望すべきか(12)



「大門の先にあるジムっての?そこまで行ってきたんだけどさ、非会員で一見さんでも高っけえ高っけえ。素寒貧で仕方ないから歩いて帰ってきた」
「大門東から?」

歩いたら二時間近く掛かる道のりだ。それは疲れるに決まっている。

「しばらく購買通いは禁止だな。アイハブノーマネー」

ひらひら、と振られる両手と情けない声音に思わず吹き出すと、彼は淡い色の脣をつう、と尖らせた。それは僕を誘ってるんですか、斗与さん。

「ねえ、キスしたい」
「阿呆、落ち着け。現実をしっかり見ろ。あ、見てるのか、でも駄目だ」
「いやだ」僕は断固たる意志を持って言った。「…でも、何があったのか話してくれたら、やめる」
「…あんだと?」
「何があったの。君がそんな風に――無茶をしてまで泳ぎたがるときって、余程ストレスが溜まった時、だから。何か、あったんでしょう」
「目下のストレスの種はお前だお前」
「やめさせたいなら、早く、…ほら」

撫でる手を、今度は首を固定する為に遣って。腰を折って彼の額と僕のそれをひたりとくっつけた。

「言わないと、しちゃうよ。じゅう、きゅう、はち、」
「何のカウントダウンだそれは」
「分かってる癖に。なな、ろく、ごー」
「…言っても怒らない?暴れない?殴りかかったり蹴ったりしないか?」
「しないよ」

君にそんなこと、する訳がない。

「…ユキ、てめえ、今頭ん中で詭弁的なものを展開させてるだろう」
「してないよ」

君を守るための嘘なら、僕は幾らでも―――そう、笑いながらだって吐ける。

「斗与?いいの?僕はどっちでもいいから、ええと、幾つまで数えたんだっけ…」
「十だ、十」
「嘘。よーん、さーん」
「わかったわかった!わかったから。ほら、耳貸せ」
「うん」

言われた通りに耳を寄せる。彼の微かな吐息が耳殻にふうっと吹き込まれてぞくぞくする。さっきの口脣もまずいけれど、これも僕を煽るには充分だ。色々とやばい。特に下半身の辺りが。

――――がぶ。

「――――っ!」
「やっぱり、やめ」

斗与は囁いて、にい、と口の端を吊り上げた。彼から外れて落ちた僕の手をしっかり掴み、家の方へと歩き出す。小さな後ろ姿を慌てて追い掛けながら、甘噛みされた耳の軟骨を震える指で触った。濡れている。噛まれた。

「前、俺と新蒔が二人でマルキン(商店街にある粉もの屋だ)行った時、あとでゆったらお前暴れて新蒔のこと豚の丸焼き結びにしただろ。あんときも怒んないって言ったのにな」
「あー…」

そう言えばそんなこともやりました。シャケの両手両脚を奴のジャージで固く固く、一纏めにして教室の角に転がしたりもしました。

「だから内緒。教えてやーらない」
「えー。酷いよ−」
「酷くない」

言いながら、さくさくと地面を刻む二人分の足音に誘われて僕の気分も高揚してくる。斗与の口調は疲れの弱々しさはあるけれど、楽しそうだ。何処かふっきれたような、すっきりしたようなニュアンスが伝わってくる。

「僕が何とかできることなら、言ってよ、斗与。ねえ」

お金はないし、成績も多分どっこいだけど、力仕事なら僕でも出来る。
正面玄関の前で隣に並んだ彼を見下ろして言えば、斗与はちらりと視線だけ寄越して口早に応えた。

「…助けて貰えそうなことなら、いつだって遠慮なく言ってるつもり。一人で出来ることなら、自分で何とかしてるつもり」
「…うん」

こう言われてしまうと、敵わない僕は情けない奴なのだろうか。
全部差し出して見せてくれ、なんて無理強いできない。彼の先ほどの言の通り、斗与の負荷のひとつに間違いなく僕も入っているのだから。

扉を開きながら、ああそうだ、と思い出したように彼が言った。

「たまには俺から噛まれるんでもいいだろ、由旗」

――――まったく、君には敵わない。



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