その怒りを羨望すべきか(11)



特に部屋へ立ち入ることはせず、僕は脇の階段から2階へと上がった。自室に荷物を置き、手早く制服からTシャツとジーンズに着替える。
立ち去ろうとするドアの手前で、姿見に全身が映る。担任の先生が苦笑する金色の髪が肩口で揺れていた。自分の体の一部なのに、これを見て思うのはいつだって彼のことだ。

「斗与、何処行ったのかな…」

家からの仕送りで生活をし、かつ原則バイト禁止の校則故、斗与はほぼ無収入だ。よってあまり無駄遣いをしない。ゲーセンやカラオケなんてほとんど行かないから、夕ご飯の時間になっても戻ってこない日は稀だ。河川敷でぼんやりしていたり、海を見に行ったり、僕が一緒に居ると商店街を冷やかしたりしている。

本当はアルバイト、したいみたいだけれど、東京に居る彼のお兄さんが反対していて中々うまくいかないらしい。
アルバイトをするには保護者の許可が必要で、許可書を提出するとその場で確認の連絡がいく。似鳥先生も、斗与のお兄さん――戴斗さんも誤魔化しが効く相手じゃない。

痛んでいるのだろうか、少しぱさぱさした髪を何の気無しに指で弄りながら、下宿棟の廊下を進み、そこから今度は正面玄関の階段を降りる。環さんの言うとおり、東明さんも見目先輩も、まだ帰っていないみたいだ。見目先輩は生徒会の活動で忙しいのかもしれない、東明さんだって委員長をしているから、似たような用件かも。

そんなことを考えながら、サンダルを突っかけて表へと出る。
次第に長くなりつつある日も、既に落ちた。通学時間を過ぎれば家の付近はしんと静まりかえり、社の前では石鳥居と天神の牛がモニュメント然と立っている。家の屋根や建物の隙間は藍と、さらに深い紺色で占められていた。
傍若無人に歩を進めると、足下で砂利が賑やかしく騒いだ。社に一礼、ぶら下がった縄を掴むと頭上でがらがらと鈴が鳴る。すぐに放り出して社殿の階段を上り、賽銭箱の前に座り込んだ。
保育園や小学生の頃、祖母に預けられる度に、僕は此処に座って親が迎えに来るのを今か今かと待っていた。程なく、待ち焦がれる相手は親から彼へと変わったけれども。

冷たく濡れた夜の気配に鼻を濡らしながら、僕は天上の一番星を捜す。天にいち早く上がる星を見つけた者は願い事が叶う、と言うけれど、地球には何億何万と人間が居て、空にはそれ以上の量の星があって、お互いどれが一番初めかなんて、もう誰にも分からないと思う。
だけどもし、ほんとうに、願い事が叶うのなら。

「…由旗」

ついに幻聴まで聞こえるようになったか、だとしたらとんだ末期症状だ。単語はよく聞くけれど、体験自体はそうは無いと思う。恐るべし、僕。

「おい、ユキ。ユキったら。聞こえてる?おーい、ユキさーん。聞こえてますかー」
「…っ、斗与っ!」

ほら、やっぱりだ。
僕は勢いよく立ち上がり―――吊り下がっていた太い綱でもってしたたかに頭を打たれた。地味に痛い。涙目になりながらも、必死に瞬きをした。ぼわぼわと水分で膨れる視界に斗与が居る。目蓋を開閉する度に世界はクリアになって、玉砂利を踏みしだきながらやってくる彼が微苦笑を浮かべている様までよく分かる。
斗与の上半身はシャツの所為で仄白く光って見えた。いつもに増してほっそりとした感がある。灯りが示す彼の双眸はつややかな飴色、僕が一番好きな色だ。
たった五段しかない階段を一息に飛び降りて、彼を迎えるべく駆け行った。さらにはっきり像が結ばれていく。暗がりから現れる体躯、僕を見てちょっと困ったように笑う顔、栗毛の髪。早く言葉を交わしたい、触りたい、と心臓ごと欲求が喉から飛び出てしまいそうだ。
向かい合って、流石に(ようやく、と言うべきだろうか)気がついた。

「お帰り!……あれ、髪…?」
「ただいま」と斗与。肩を竦めて一言。「泳いできた」

ひょい、と上がった肩に湿った髪の塊が垂れている。表情からも疲労が伺えた。堪らず彼が下げていたスクールバッグをひったくり、空いた手で柔らかな線を描く頬を撫でた。出来るだけ慎重に、やさしく。
僕を見上げるべく上向いた、その耳の後ろを指でさするようにすると、よく慣れた猫のように斗与は目を細めた。可愛い、やばい、可愛い。鳴きながら擦り寄られたら発狂しそう。


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